「ふれあいの道」の歴史(後編)

開発当初はなかったのに、子供のふみわけ道から始まって団地住民が整備し、いつのまにか団地の「敷地内通路」なのに皆がいきかう状態が定着してしまった「ふれあいの道」。鳥が来るように…と住民が樹を選んで植えた森や、臨時のはずだった調整池をニックネームで呼んでいたら国土地理院の地図にまで名前が載ってしまった「ピアノ池」と並んで、住民が歴史を作ったニュータウンらしい空間だと思います。だから好きなんだな…
団地の中を戸建住民や阪大関係者も通る…ということは、吸殻が散らかったり、ときにやかましかったり、マイナスの面もありつつも、この微妙なバランスは30年以上保たれてきました(一定量の人通りがあるということは、安心度を高めているとも考えられます)。多くの通行人がこの道のなりたちを忘れるぐらい、「ふれあいの道」は藤白台にすっかりとけこんでいたのですが、忘れてはいけないのは、この道の掃除や整備は、公社住民の負担で行ってきた、ということです。
賃貸団地敷地内のメンテを誰が行うか…ということは、UR、公社、府営にルールの違いがあり、UR<公社<府営の順で住民の自主管理に委ねられている部分が大きくなるようです。
ところが公社団地の建替計画が2006年頃から始まり、この道のあり方が再度クローズアップされることになりました。公社団地は坂の下、駅の近くに高層化して集約し、坂の上の部分(現A5棟~A18棟の部分)は「再生地」として民間に売られることに…。「ふれあいの道」は公社敷地内、公社敷地と再生地の境界線を通り、一部は再生地の中に入ってしまうことになりました。
もう30年以上もこの道を通り抜けさせてきてもらった立場としては、建替後も同じように通れるようにしてもらいたい…しかしあまり整備してしまって、再生地にはマンションが建つでしょうから通行者が増えて団地住民のプライバシーや安全が損なわれるのも困る…バランスが難しいのです。
これは団地の敷地内通路で公社の住民が手をかけて守ってきたけれど、藤白台の多くの人に大切な道にもなっていた。それは「便利だから…」「駅に早く行けるから…」というだけでなく、この道は本当にご近所のいろいろな人とばったり会う皆の「ふれあいの道」になっていたのですね。町の風通しを良くしてきたというか。駅に直結する藤白橋の前に出てくるということは、この位置はもともと「町のノド元」といっていい位置だったのだと思います。子供のふみわけ道は、正直です…
自治会などの激しい議論の中では、いっそ市が買い上げて公道にしてもらったら…という声も出ましたが、すると公社敷地で残る部分を市有地が分断することになり、新しい建物の建てられる高さが低くなってしまう。するとどこかにしわ寄せが出てきます。
結局この道は「公社団地の敷地内通路」という位置づけのまま、メンテは公社が行うことになり、公社住民以外の人も迷惑にならないようにお通りください…という、できるだけ従来に近い形で落ち着こうとしています。再生地を横切る部分については、小学校の校門前には現在のルートで行けるようにすることを条件づけ、現在のA12棟とA13+A14棟の間を通る「枝道」に関しては、再生地を落札した業者と連合自治会が協議を行う…ことになっています。
藤白橋に近い一番下の部分では、若干ルートが変わり、藤白橋の前にできた新しい広場につながることになります。ふみわけ道から始まった道なので、これまでは藤白橋のたもとで狭い物陰からいきなり車道を横切る形になっていて危なかったのですが、広場に出て、新設の歩道を経て藤白橋につながるため、視界はずっとよくなります。
「ふれあいの道」の歴史は、まさに藤白台の住民がつくってきた歴史です。細い小道ですが、この道の「第2幕」に期待したいと思います。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (2)

    • みゅら
    • 2011年 8月 08日

    この道が出来たのはホント画期的でした。
    あの大斜面は晴れの日は「基地作り」をしたりしてとても楽しかったですが
    雨の日は地面が粘土質でぬちゃぬちゃと
    とても難儀でした。
    なのであの道が出来たときは、
    嬉しくて母と階段を下から駆け上がった
    記憶があります。
    引越しする半年前まで毎日毎日下って駅に行き~
    上って家に帰っていた道ですから
    良くなるとわかってはいても
    その姿が変わってしまうのは
    ちょっとサビシイです。
    長く家をあけてたりすると
    この道の階段をあがっていって・・・
    ゾウのすべり台が見えて来ると
    「家に帰ってきた!」って気持ちがしたもんです。
    あぁあのすべり台もなくなってしまうんだろうなー。

    • 奥居武
    • 2011年 8月 09日

    あ、やっぱり「基地作り」やりましたか!大斜面はA6棟~A8棟の前あたりだったかな…?お母さんと階段を駆け上がったシーンは、藤白台の記憶のハイライトですね。
    ゾウのすべり台は再生地に入ってしまうので今のところ何も決まっていませんが、このブログでも皆さんの思い出が濃いことがすごくわかりますから、なんとかできないのかな…と思っています。
    ともあれ、遊んでた子供のふみわけ道から始まった道が、団地が変わっても残るというのは、すごくいい話だと思います。斜面の森も…まさに自分たちで造った町じゃないですか。ニュータウンは皆の秘密基地みたいなものなのかもしれないなあ…
    いい思い出をありがとうございました!またいろいろ書いてくださいね~。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る