私のやっている地域財団で2月27日に主催したオンラインセミナーの記録ができました。「千里で住む、働く、楽しむ」というタイトルで、千里に住む魅力、アドバンテージを、インテリアデザイナーの岡本昭子さんと、ランドスケープアーキテクトの吉武宗平さん(いずれも千里ベースでご活躍)に内と外から語っていただきましたが、参加者とのやり取りの中でも出てきた「千里の一番いい所」は「まちと住まいがつながっている」ということでした。
家にいても、外とつながっている。外空間が、自分の庭のように思える。参加していた造園業の方(キャンドル仲間!)は、個人の庭をさわっていても、それが個人の敷地だけで完結しているのではなく、お隣りや、街路樹や、向こうの山など、「借景」でずっとつながっていくのが気持ちがいいと証言されました。…たしかにそれは、コンパクトに要領よく刻まれた「都心の風景」とは大きく違うポイントです。
そういう風景は、そういう人の心をつくりだします。だから千里の人たちは「くつろいで」見えるのです。孤独でない…というだけでなく、「お互いにトクをしている」感じ。まだ豊かではなかった1960年代の大阪府が、限られた予算で、(収入層に関わらず)多くの人たちに「いい住環境」を提供しようと工夫した結果が、この「共有感」につながっています。それはまさに「コミュニティ」のビジュアライズなんですよね。
オンラインでも皆で話していると、共通の発見が浮かびあがってきます。進行役もトクをした気分になりました。角度を変えて、またやりたいと思います。記録はこちらからどうぞ!
コメント
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自分が住んでいたA10棟が「まちにつながるすまい」だったかどうかは
よくわかりませんが…
なぜか写真の場所はすぐにわかりました!!
お向かいの石垣?植木?の感じが
自分の中の記憶ときれいにマッチングしました
この前の道路 よく通っていた場所なんです 公文行く時に…
写真を撮影されたお宅に不法侵入していたわけではございません 念の為(笑)
千里は団地の敷地も「外に向かって開かれて」います。柵で囲われたりは、していない。近所の人が通り抜けるのは可、と私は解釈しています。(分譲棟では住民以外の立入を禁止していたり、もちろん迷惑になるようなことは、ダメですが。)そういうクッション空間があることはすごく大切で、ふだんは意識していませんが、建替になった時にそのバランスが崩れてしまったマンションもあり、千里らしさが損なわれているような気がします。だから住民自身が意識して自覚し続けることが必要になっている気がします。戸建も塀が高いのは、なんだかな~