年の初めから厄落としということで…。前回ご紹介した千里ニュータウン入居時の「補欠当選」はがきをわが家が手にするまで、こんなプロセスもあったということです。時は1964年。西部劇の一シーンのような未開・未知の造成地であっても、その頃はとにかく都市部の人口がどんどん増えていて、マイホームを求める庶民には「千里ニュータウン」という大プロジェクトの登場は「日照りに雨を得た思い」(当時の開発記録映画のナレーションより)だったのです。
千里という土地をほとんど誰も知らなかったのに、申込が多すぎてなかなか当たらない。ハンコ(おそらくゴム印)の2回押しもせつないですね。(落せんを重ねると「ご苦労様インセンティブ」で当選確率が上がっていく仕組みもあったと聞いています。)
オモテ面を見ると、前回ご紹介した「補欠当選」はがきと違って、差出人は「財団法人 千里開発センター」となっています。「大阪市東区大手前之町」は今は地名が変わっていますが、府庁のある一角です。同センターは大阪府の外郭団体で、府のプロジェクトである千里ニュータウンの住民サービスや施設管理を行う組織として設置され、当初は佐竹台の近隣センターに現地窓口を置き、1964年から南千里に、1970年から千里中央に移転。開発工事がほぼ終了した1973年に「大阪府千里センター」と名前を変え、2005年に解散されました。(業務はその後「大阪府タウン管理財団千里事業本部」に統合継承され、北千里に事務所を移転、さらに2020年に「公益財団法人 大阪府都市整備推進センター」に統合されています。)
60年もたつと組織の変遷も激しく「つわものどもが夢の跡…」という感もしますが、千里という町はいろいろ乗り越えて立派に発展していると言っていいでしょう。
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