あの日も3月18日だった。

母校の小学校の評議員を仰せつかっているので、卒業式に呼ばれて行ってきました。きのうは雨でしたが、きょうは「青い空 白い雲」。

今年の卒業生は4クラス134名。10年前にはじめて評議員として呼ばれた頃から、ずいぶん増えました。式場の体育館に入ったとたん、フロアがびっしり混んでいるので「あ、増えたな」と直感的にわかります。6年生が増えるとPTAも増えるし、在校生の5年生も増えているので、増加の効果が強調されて見えるのです。卒業証書を一人ずつ渡すので、人数増は進行時間にも影響してきます。まさに秒刻みで練習したんだろうな…というプログラムを正確なダンスのように全員がこなしていくのは、さすが頭が若いです!

証書を受け取った卒業生は、さっとPTAに向かって「将来の夢」を語ります。スポーツ選手、電車の運転手、ケーキ屋さん…といった「昭和以来の定番」もあれば、youtuber、ゲームクリエイターなど、平成後期からのトレンドもあります。看護師やプロデューサーなんて言葉も出てきます。プロデューサーなんて単語、僕は大人になっても知らなかったゾ(今もよくわかってない…)。「所属」じゃなくて「資格」や「職種」で夢を語る子が多かったのは、職業観の変化なのか、子どもはそういうものなのか。子どもは未来を生きています。

名簿はとっくに男女混合で、男子はセットアップスーツみたいな子がほとんど。野球のユニフォームの子も1人いました。それが彼の正装なんでしょう、個性があっていいぞ。女子は6割がスーツ、4割ぐらいが袴(校長先生と6年担任の女の先生も袴でした)!着付けは家でできるんだろうか、きれいなヘアメイクはどうしているんだろう?とか、観察していると興味が尽きません。男子は簡単でいいな。でもどんどん背が伸びる年頃、スーツに張り込んでもすぐ着られなくなりそうです。レンタル?買ってる?

僕の時はどうだったかなあ。少なくともスーツじゃなかった。セーターだったかもしれない。もっと普段着っぽかったような気がします。母が千里阪急で処分品の1,000円のブレザーを買ってきて、金ボタンだけちょっとましなのに付け替えて得意がっていたのは(今でも着られるから)大学の入学式の時だったか?…もう遠すぎて記憶があいまいです。

今年の卒業式は「第60回」だそうです!僕は7期生だったから53年たったということ。同じ学校、同じ体育館、同じ校歌でも、それは変わるわけです。

53年前のニュータウンは、PTAも先生もみんなもっと若かった。今はPTAも出産年齢が上がっているし、先生は一度高齢化して、団塊世代がどっと退職して一気に若返りましたが、僕らの時のように「ほとんど20代」ということはありません。いろんな年齢の大人に囲まれて育つことは、きっといいことなんでしょう。そして同じ町と同じ学校が続いていることが、とてもうれしかったです。それは今どき、とっくにあたりまえのことではないのですから。

同じ卒業式を見続けていると、町の変化がわかります。そう…僕がこの小学校を卒業した1972年も、式は同じ3月18日でした。

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