前回からつづく)
56年続いたホテルの最後の晩に泊まれば、深夜に何か特別な無礼講イベントでもないだろうか?…というのは妄想というほかなく、ただ静かに、ひっそりと夜は更けていきます。ホテル内では記念撮影をする人がちらほら見られた程度。宴会場では最後の晩まで何か会合をやっていたようでした。この晩にここで会合をするのは狙ったのか、偶然なのかわかりませんが、参加者には強い思い出になったことでしょう。

千里らしく、阪急らしく。さりげなく、上品に。このような幕切れで良かったと思います。

とうとう最後の朝がやってきました。朝食ビュフェの会場は満員です。昨夜はあれほど静かだったのに、やはり大勢の人が泊まっていたようです。美味しくて、ちょっと昔のファミレスのように明るくて親しみやすい朝食でした。用意された料理は和洋万遍なくという感じでしたが、タコヤキがあったのが大阪らしかったかもしれません。

客層は、老若男女全部いました。最近にしてはインバウンドさんは目立ちませんでした。北摂に回ってくるインバウンドさんはそう多くないのです。

チェックアウトタイムは11時。千里阪急ホテルがその歴史に幕を下ろす時刻です。従業員の皆さんがフロント前に集まってきます。最後の最後まで粘っていた宿泊客もしずしずと(ずるずると?)出てきました。忙しい中でも従業員さんは記念撮影のシャッターを押してくれます。調理場の人たちも皆揃っているのが「いよいよ最後」だと思わせます。もう彼らがここで料理をすることはないのです。

11時を回っても人がはけないためか、玄関前に出るように促されました。外からも人が集まってきます。マイクなしで最後の挨拶が始まります。町に向かって最後の挨拶をするような形になりました。

町のようなホテルでした。同窓会、結婚式、懇親会、会食、ちょっとしたお茶、プール、ビヤガーデン…宿泊だけでなく、町の哀歓がすべてありました。小さなサイズに多機能を詰め込んだ点が、経営効率上は今風でなくなってしまったのでしょう。とくに80年代に増築された部分は意匠も凝っていて「すべて特注」と言ってもいい贅沢さも管理には苦労したでしょう。「町から森につながる」敷地を生かした設計は、細かな段差となってバリアフリー上は不利になりました。しかしそのような無駄、遊びがあったからこそ、このホテルは多くの人に愛されました。

千里という町のサイズ、ロケーションにホテルは絶対に必要で、千里中央の再開発後には、元ピーコック(オトカリテ)の場所に全く違う形態のホテルが埋め込まれるようです。新しいホテルも町とつながったホテルであってほしいし、その役目は機能一辺倒に終わらないことを願います。ホテルは人を呼び込み、「これからの千里」を育てるゆりかごでもあるからです。

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