どうしてこういうことになってしまったのか、開催に対して「反対論」や「懐疑論」ばかり目立ってしまっている来年の2025年万博ですが、1970年万博を近隣で「浴びるように」体験し、その後も千里をはじめとする地域に残ったエネルギーというかレガシーというかに「育てられた」感覚さえある私にとって、すでに万博と私はほぼ一体化しています。私から万博を取ったら、ニュータウンしか残らないじゃないですか。
「今回はシンボルは造らない」と言っていたのに、いつのまにか巨大なリングを(手の込んだ方法で)建てることになっていたり、個別の事象については私も「あれれ?なんで?」と思うことはあります。コロナ禍という不可抗力で大きく計画が狂ったことも否めません。2020東京五輪の「トラウマ」も(とくに首都圏では)響いていると思います。
しかし、だからといって、万博の本来価値まで否定する気にはどうしてもなれないし、「やれる範囲でやったらいい」というのが私のスタンスです。上の世代は、自分たちが思い切り「夢も見て」、エネルギーも注入されて、プラスの効果もたくさんあったのに、若い世代に対して「時代が違うんだからやめておいたほうがいいよ」と言うのは、何か違う感じがするんですよね。万博は、次の世代のためにある。合理的な範囲で、できるようにするのが、70年体験世代の役目じゃないかと思います。(それにもう中止する段階はとっくに過ぎている。滑走路を走りだしている飛行機の逆噴射レバーを引くようなことを私は言いたくありません。)
70年経験者も、「あの時」の残像が強烈すぎて、昔のイメージに引っ張られ過ぎているような気がします(最初にすごいものをやってしまうと、あとが大変だ~)。友好と革新の精神だけ引き継いで、あとは全然違うものをやったらいいんだと思います。
私は一介の近隣住民で、自分のテーマとしてはつねに「ニュータウンのほうが上位」ですから、70年以降の国際博は、つくば、大阪花博、愛知、上海、麗水、ミラノ、アスタナ、ドーハ花博(あと地方博ではポートピアと名古屋デザイン博)しか行っていない真正の一般人ですが(跡地は沖縄とハノーバーとドバイも行きました)、いろんな万博があるんですよ。
…と、いろいろ自分なりに煩悶して、万博ボランティアの説明会にほぼ最終段階で行ってきました。私も暇じゃないし体力もないし、「地域ボランティア」も18年間さんざんやり倒した結果、「なんでもボランティアに頼るのはおかしい!」と、昔ほど「純な心」じゃないのですが、説明を聞くと最低5日間からできるようだし、説明会の参加者も老若男女あらゆる人がいて明るい雰囲気だったし、「なんでも見てみる、やってみる」のは悪くないんじゃないかと思って、自撮りした写真で申し込みました!申込は、あす4月30日までです。
実はこのボランティア、2万人の枠に対して、10日ほど前の時点ですでに2万3千人近くの応募があり、選考もあるから申し込んでも必ず採用になるとは限りません。なんだ、やっぱりけっこう楽しみにしている人も多いんじゃないか。申告している「参加可能日数」が人それぞれだから、人数だけで需要とマッチするか、わからないですが。
大阪の人は、明るいですね。やるんだったら、意義のあるものにしたいです。
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2024年 5月 12日トラックバック:目を疑いました。 | アラウンド・藤白台
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