永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第2弾は、1967年、完成直前の北千里駅前交差点です。(この文字をクリックすると大きく見られます。第1弾の写真にも解説を追記しました!)北千里駅の開業は1967年3月1日…この日は世界初の自動改札機が実用化された日にもなるわけですが…写真からは、まだオアシスのガラスに破損注意の紙が貼られていたり、きちんとオープンしてない雑然とした様子がうかがえますから、開業直前の追い込みの時期ではないでしょうか。開業直後、ほぼ同じ位置でこの写真より少し右に振った角度で撮っているのがこの記念写真です。
今と大きく違うのは…
◎阪急の引上線のガードがなく、線路がホームの端で切れている。(現在の引上線は、1970年、万博用の臨時電車を多数増発した際に、電車をためておけるように造られました。)
◎交差点に信号機がない!
◎藤白橋がない!取付け部にはぽっかり穴があいている。(信じられないような措置ですが、駅ができてから1年ぐらい藤白橋はなく、取付け予定部は穴が開いたまんまでした。転落防止の柵もすごくチャチかった記憶が…)
◎改札内、ホームに上がる階段部が外から見えている。(これは1990年代ぐらいにエスカレーターやエレベーターなどを増設してサイドを壁でおおいました。)
◎右手の「北センタービル」に一番上のホールのフロアがない。(数年後の第2期工事で増築。塗り分けは濃い茶色と白でした。)
◎角の部分に阪急ハウジングプラザがない。(これができたのも1990年代だったかと…)
◎オアシスの2階の張り出しピロティ増築部がない。(これもずっと新しくて21世紀になってから)
…と、今あるものがないないだらけ。角に立っている街路灯も今とは違いますね。
北千里駅ができるまでは駅前のバスターミナルもなく、この角に「北千里山」というバス停があったのですが、この写真には写っていないですね…。(今、医療ビルがある北東の角には「青山台中学校前」というバス停があり、その2つを駅ができたときに統合しました。)北千里駅が開業する前日まで阪急千里線は「千里山線」という名前で、南千里も「新千里山」という駅名だったので、開業予定の新しいこの駅も、予定段階では「北千里山」と仮に言っていました。ところがホームの終端部に、この写真にあるように「阪急北千里駅」というネオンがついたので、「山」がとれるんだ…ということがわかったのです。それは「千里」という地名が「千里山」から離れて独り歩きを始めた瞬間だったと思います。
今から見ると殺伐とした番外地のような写真ですが、どんどんできていく工事現場は、期待でいっぱいの場所だったのです。それからもう45年がたちました…。
※永井さんには許可をいただいて紹介していますので、無断使用はおやめください。
コメント
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コメント (4)
昔ポピュラーだったいすゞのTXトラックも、こうしてみるとブルドッグ犬のようで可愛い。三角ラクダのオアシスのマークも思い出されます。毎日駅の発車放送を聞いて育った自分としては、昔の駅の写真は本当に懐かしいです。
このような荒涼たる新開地で「オアシス」はほんとうに町のオアシスでした。これ北千里駅のネオンの下にオアシスのサインがつくのですが(蔵出しの1回目には写っています)、この段階ではまだついていません。三角形の中にラクダのシルエットが入っているオアシスのマーク、なつかしいですね。あれから2~3回は変わったでしょうか。最初は1階が食料品売場で2階が衣料や雑貨類の売場でした。
昨日 千里山のMさんに 今年秋「千里山今昔ものがたり」の写真展をするからと 千里山会館の会議に奥居武にDVDにしていただいたじいちゃんの8ミリ持って行くと、新千里山駅開業の時の記念切符をお持ちの方がおられましたよ お名刺頂いています{%笑いwebry%}
千里山でも写真展やるんですね。ホームをまたぐ道路橋があっというまにできましたね!