こちら北千里駅前のロータリー。2階から見下ろして撮っていますが、この同じ場所の推定約40年前の写真が、ただいまEXPO CAFE(天満橋)で開催中の「千里山(1964~1970)」写真展で見られます!
こりゃ~若い人はどこだかわからんわ~。答えを知ってる僕が見比べても、あまりの違いにびっくり。昔の写真に写っている団地群は大半が今もあるのですが、SATYが目の前にどーん!と立ちふさがり、その向こうには旧・北千里小学校の校舎も、この昔の写真のあとでできています。手前には雨よけの屋根もでき、ロータリーの中央部は誰もが停められる駐車場だったのが(こんな駐車場で足りてたのね…)今は植栽に変わりオブジェも置かれています。バス乗り場に面した専門店街は平屋だったのが3階建に改築されました。右手にちょっと見えているセンタービルは実は同じなんですが、ファサードが改装されています。
今から40年たったら、どうなるんだろう?
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コメント (6)
確かサティの場所に大丸ピーコックがあったような…平屋の専門店もバス停とピーコックの両方に並んでいて、バス停のほうには模型屋さん(欲しくても買えなかった阪急のNゲージをよく眺めに行きました)、ピーコック並びの西側の端あたりに「いせや」があったのだけは記憶にあるんですよね。
ピーコックは、この写真左手90度の位置(アングル外)になります。位置も建物も変わっていません(2階が事務所になったけど)。サティの場所は、昔は平面駐車場、もっと前は空き地でした。つまり今は(駅の下の)オアシス、ピーコック、サティと、3つスーパーがあるわけです。
専門店街はバスロータリーを囲むように同心円状に2列あり(地形はすり鉢状になっている)、前列中ほどにマッハ模型が、後列の端あたり?(だったかな~)にいせやがありました。どちらも今は、北千里にはありません。前列は平屋から3階建に、後列は平屋から2階建に改築されています。…って文章で書いててもなかなかわからないでしょうから、百聞は一見にしかず!
今年 北千里へふらっと行きましたら、巨大なSATYが建っていてびっくりしました。
その前に北千里へ行った時は、ちょうどSATY建設中で、ちょうど同じような角度から写真も撮っていて、確かにたくさんの団地が写っています。
さらにその前は20年ぐらい空白なのですが、SATYが建つ前は何かあったのでしょうか?
あとオブジェで気になっているのは、白い女性の像?は、どうなったのでしょうか??
SATYの場所は、1967年に駅ができて数年間は草ボーボーの空地→クルマが増えて平面駐車場に整備→1994年4月にVIVREオープン→2003年2月にSATYにリニューアル…という変遷だと思います。
http://www.mycal.co.jp/news/pdf/03_02_18.pdf
最初からここは「何か作る」ためにとっておいた土地で、古いイメージ図でも高層ビルが描かれていました。写真集「千里山」にも写っている白い女性像ですが、どこへ行ったのかな?捨てるわけないし作者に返した…?北公園にそんな像があるような気もしますがウロ覚えです。
詳しい解説ありがとうございます。
SATYは最近できたんですね。
写真はSATY建設中ではなくてVIVRE建設中の時に撮ったものでした。
しかしVIVREは一度も見ることもなく時は流れて…
幼かった私の北千里駅のイメージはなぜか白い女性像だったんです…今のオブジェは私が引っ越した後にできたようで、みなさんには、こちらのほうが、なじみがあるようですね。
VIVREとSATYは同じ建物で、若者向けからファミリー向けにコンセプトを変えてブランド変更したものです。もともと北千里VIVREは地下に食料品売場がある全国唯一のVIVREだったそうで、やっぱり北千里はファミリーを掴んだほうがはやい立地のようですね(学生もいっぱい通るのにもうちょっと引きとめられないのかな?と思うのですが…)。今の卵形のオブジェは1994年の全面改装のときにできたもので、始発駅だから何かが生まれる卵…っていうイメージらしいですよ。