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里山の向こう側で(グレーターつくば)
- 2009/7/19
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- まちづくり
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(前回からのつづき)つくばへ行く日はいつもなぜか天気が悪いのですが、この日(ことし5月末)も雨の中、「こちらへご案内します」とガイドの方は農家の裏庭へ抜け、どんどん里山の奥へ入っていきます。他の訪問者が悪天候にあきらめて途中で引き返すなか、「せっかく大阪から茨城まで来たんだから…」と一人だけ最後までついていくと…
里山を抜けた未開発地に、一区画だけ、これからここに作ろうとしているニュータウンの見本区画ができていました。ここは一区画が約200坪。「緑・住・農」を一体化した区画として、手前を60坪の緑地、真ん中を100坪の宅地、向こうを40坪の農地とし、農業に親しみながら田園生活が送れる…そういう企画のニュータウンを造ろうとしているのです。
ここにはさらに工夫があって、底地を定期借地権の借地とすることにより、住民は安くマイホームを手にでき、地主は長年親しんだ土地を手放す必要がなく、また農業に関して一括したアドバイスが行える…ということも考えられているようです(詳しくはこちら)。
「農地は要らない」という人たちのために、「緑・住」型の区画もあります(詳しくはこちら)。
この一角は、つくばが取り組む新しいニュータウンのチャレンジとして、多くの人たちに注目されているようです。「中根・金田台」=愛称「なかこん」で検索すると、多くのページが出てきます(TXによる説明サイトはこちら)。もちろん今は道路も何もできていないので、町が完成したらこの写真の印象とは全く異なったものになるでしょう。
このコンセプトは「一般的な」ニュータウンとはあまりに異なるため、説明することも難しいし、はたしてそれはニュータウンなのか?という人もいるでしょう。しかし世界のニュータウンのルーツがイギリスの田園都市構想にあったことを思えば、それは奇想天外というよりは「先祖返り」なのかもしれないし、都市の理想を追いかけていったら森に還っていく…かのような印象は、僕のニュータウン訪問記の中でも非常に強いものでした。
千里ニュータウンでは開発に際して元からあった村の「農業」という要素を一切排除してしまいましたが、都心では決して得られない郊外ならではの生活を追求するならば、「ニュータウン」の中に「農業」があってもいいじゃないか…と僕は思います(関西でも戦前には「伊丹養鶏村」や「石橋温室村」といった郊外開発があったことを、角野幸博さんの本で読んだことがありますし、それってまさに「緑・住・農」じゃないでしょうか)。
森を抜けて行った甲斐が、ありました。この町の「実験」が実際にうまくいくかどうか?すべては、これからです。
コメント
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コメント (2)
確かにレッチワースに始まるニュータウンの系譜に入れて考えると中根金田台の「緑住農」や稲城南山の「里山コモンズ」はちょっと異質ですが、例えばこの「緑住農」概念は江戸期の三富新田(さんとめしんでん)など、日本の新田開発の伝統を正しく引いていると思います。
人口増加圧力にこたえるので必死だった高度成長期には、農地を収用して農地にする…というニュータウン造成は「筋が通らない」と思われたことでしょう。しかしいまや人口減少時代に入り、拡大ではなく調和をめざしたまちづくりに頭を切り替えないといけないわけですから、既存のニュータウンでも「宅地の中に農地がある」ということになっていくのは決して「ありえない」話ではないと思います。「農業ブーム」と言われる一方で、国内の農業はまったく引き合わないという現実もあるようですが…。