「連結性」こそ千里ニュータウンらしさ
- 2009/2/13
- ニュータウン内, 千里ニュータウン
- まちづくり, 地区センター
- 2 comments
南千里駅の改札前から竹見台に架かる「竹見橋」。
前にも書きましたが、このショットは千里ニュータウンを代表する風景として、テレビ番組などには昔からしばしば登場します。ニュータウンに入って最初の駅の改札前にあるという立地、奥の(団地マニアには有名な)巨大スターハウス、千里らしい緑とモダンな団地の対比、ゆるやかにスロープを描く歩道橋、いきかう人々の生活感…。
昔、千里ニュータウンがヤングファミリーの町だった頃は若夫婦と子供の、「オールドタウン」などと報道されるようになってからは背中を丸めて歩いていくお年寄りの姿と一緒に、ポジティブにもネガティブにも描かれてきました。(正面の団地が少し「斜に構えて」いるところも洒落ています!)
先日、きたさんから南地区センターの設計について「建物そのものよりむしろ、連結性こそが設計上の大切なポイントだった」というコメントをいただき、竹見台から高野台までまっすぐ抜ける歩行者動線も「連結性」の精神だし、それは千里ニュータウンのいたるところで非常に重要な要素だと感じました。
千里ニュータウンといえば「○○台」「新千里○町」という「住区」単位の設計がすべての基本ですが、それぞれの住区は孤立しているのではなく、駅前の地区センターから住区へ歩道橋で連結され(藤白橋もそのひとつ)、「団地」は府営でも公社でも公団(UR)でも、賃貸でも分譲でもほぼ例外なく、敷地を囲い込まずに「誰が通り抜けてもいい」オープンな構成で連結され、戸建住宅も高い塀などで私権を主張することなく、生垣などでオープンに町と個々の家が連結したイメージを与えることが奨励されました。住区の中心にある小学校への通学路も、できるだけ広い道路と直接干渉せずに子供が通えるよう、相互の位置関係の連結に留意されています(藤小の校門はわざとバス通りからはずして設けてありますよね…古江台はそうはなっていませんが…)。後半に建設された6住区では、歩行者専用の緑道が住区内を回遊する「緑の連結」が図られています。実際に容易に行き来できるという面でも、視覚的にも、システマティックな「連結」がいろいろなレベルでカタチにされています。
だからこそ、町全体がまとまって「ひとつの庭」のように感じられるのです。
ここが重要なところですが、今あちこちで進められている大規模建替の際も、この「連結性」を断ち切ってはいけないのです。財政事情などから敷地の一部を民間売却する手法が公社でも府営住宅でも行われ、そのこと自体に私は反対する立場ではありませんが、「民間に売っても連結性は確保すること」を条件にしないと、千里ニュータウンらしさがなくなってしまうのです。
皆が私権を主張して敷地を囲い込む方向に進むと、千里ニュータウンの「町としての一体感」は失われ、それは誰も得しない結果を生むでしょう。千里ニュータウンは郊外の町にありがちな犯罪率がきわめて低いことでも知られていますが、連結性が生む一体感こそが、安心感や犯罪抑止力を生んでいるのではないでしょうか。
「ニュータウンらしさ」は個々のパーツではなく、その「システム性」にこそあるのです。
だからこのショットが、外から来た人たちに「ニュータウンだ!」と感じさせるのではないでしょうか。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (2)
「みんなが繋がっている」って言うことはとても大事なことだと思います。でも小学校区単位で区切られた住区内でさえそうでない現状に情けない思いがしています。再開発の機会に連結性が実現するといいなと思います。(最初の段階に開発された住区の住人)
千里ニュータウンでは「住宅が足りない!」という高度成長期の「公的な要請」によって、一部では強制収用まで使って地主さんから土地を提供していただいたという背景があり、そうまでして造ったものは(分譲地であっても)当然公的な精神にのっとって運営されるべきである…という考え方が設計の随所に反映されていると思います。家は狭くても広い公園、広い道路…それは限られた予算の中でできるだけ多くの人たちに「心豊かな生活」を提供したいという設計者の願いでもあったでしょう。そういうところが、好きなんですよ。それは古い考え方でも何でもないと思います(ていうか、今のような世の中になるとますます新鮮)。そこをよくよく住民が自覚しないと…。前に書いたこちらもご参照ください。
http://senri-g1964.at.webry.info/200707/article_22.html