南千里駅前の南地区センタービルと、新しくできた後方のマンション。ピンク系の外壁が夕映えで一瞬輝いて、ワシントンヤシの並木とお似合いでした。
左の南地区センタービルは、1970年に千里中央ができるまで、千里ニュータウンのいろいろな施設が集中していて、「ニュータウンの玄関口」とも言うべき機能を果たしていました。千里開発センター(→大阪府千里センター→タウン管理財団)のオフィスもあって、宅地などの現地申込もここで行われていましたし、津雲台七丁目の千里電報電話局ができるまでは電話の申込もここで受け付けていたようです。この中にある大和銀行(→りそな銀行)千里支店は、千里ニュータウンで最初の銀行だったんじゃないでしょうか?「南千里支店」ではなく「千里支店」なところが、ここが千里で唯一のブランチだった名残を伝えています。
後方のマンションの場所には、3~4年ほど前まで阪急百貨店の寮が2棟建っていました。14階建てぐらいあったんじゃないかな?高層→高層で建て替えられたケースです。建替前の寮は1970年に建設直後は万博のホステスの寮として半年間使われたようで、昨年けっこう売れた小説「水曜の朝、午前三時」(蓮見圭一著)には、ここを舞台にしたシーンが出てきます。
タウン管理財団のサイトでは、この場所の古い写真を見ることができます。新旧比較のコーナーなんですが、その新しいほうの景色も今は過去になってしまいました。ワシントンヤシの成長にはびっくり!カリフォルニアは一日にしてならず。

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コメント

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  • コメント (6)

    • pigmon
    • 2007年 1月 13日

    あの建物は、内部が女性仕様だったのでしょうか、阪急百貨店の寮のときも、女子寮でした。
    1970年代のはじめ、向かいのマンションに住んでいた中学生の悪ガキ(同級生、たぶん蓮見氏と同世代)が、夜、窓のカーテンがあいていて、中がみえる部屋を探すのが楽しみなどと、けしからんことをつぶやいているのを、聞いたことがあります。「水曜日の朝、午前3時」を聴いていた頃のことを思い出してしまいました。

    • 奥居武
    • 2007年 1月 14日

    「水曜の朝、午前3時」を聴いてみました。1964年録音。僕がNTに来た年です。あの頃の音楽はなんと心優しかったのでしょう。

    • みゅら
    • 2008年 7月 11日

    こんなニュースを見つけました。
    http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20080711-OYT8T00072.htm
    専門家がみても保存するべき建物~
    全面的にリニューアルとかして使い続ける
    ことは出来ないのかなぁと思います。
    中にいてる人は、古くて不便なことも多々でしょうけど。。。

    • 奥居武
    • 2008年 7月 12日

    僕も南センタービルには愛着がありますが、率直に言って今回の保存要望は「もっと早く言っていれば…」と思います。というのは、南センターの建物再配置はすでに半分進んでしまっていて、残りの計画を変えるとかえってチグハグになってしまわないか…と思うからです。オリジナルの、高野台から桃山台までまっすぐ続く歩行者動線は、すでに変えられてしまいました。僕は地区全体の構成こそがニュータウンらしさであって、一個の建物だけを今から残しても、あまり建設的じゃないような気がするんですよね…(郷愁は別ですが)。それと、これが有名な建築家の「名作」であったとして、それを残すために、今の若い建築家にチャンスが回らなくなるのも違和感を感じます。ニュータウンは「ニュー」な町なんですから、建設的精神で造りかえることも、また一つの継承ではないかと…(安っぽい建物にしたら、もちろん許せんですが)。

    • きた
    • 2009年 2月 06日

    はじめて参加させていただきます。設計者の村野さんも、恐らくこの建物は建て替えるべきだと思っていたはずです。信じられないぐらい少ない予算で、日本で初めてのニュータウン地区センターのメインビルディングの設計をしなくてはならない。皆を期待を裏切ることはできない。だから安普請でも、南側の広場との「連結性」をブリッジや大階段に精一杯表現した。だから、いずれ建て替えられる建物は、今なりのデザインで、「連結性」をより進化させなければならなかったのです。でも、その前に肝心の広場が壊されてスーパーのトラックヤードになってしまった。建物が「連結性」を取り結ぶ相手側がなくなってしまったのです。本当に継承すべきなのは、建物ではなく、「連結性」の精神だったのです。みな、このことに気づかず、建て替えVS保存の極端な対立におちいっています。跡地にアーカイブスができたとして、広場も建物のない状態で、子ども達にニュータウンの何を伝えればよいのでしょうか。

    • 奥居武
    • 2009年 2月 07日

    建物ではなく、「連結性」こそがニュータウンらしさであった…という視点は、あと5年早く声を上げていればと悔やまれてなりません。(私はブログであまり批判的なことは書かないようにしていますが)南千里の再配置計画は、高野台から竹見台(桃山台と書いたのは間違い)まで抜ける歩行者動線の分断、住民が憩うべきバス乗り場側に商店のバックヤードを持ってくる整理の悪さ、高楼の中が丸見えの安っぽいショッピングビル、どう考えても使い勝手が悪くなりそうなバスベイの袋小路化、せっかく建て替えた病院玄関から駅まで車道を平面横断しなくてはならないなど、首をひねりたくなるようなことだらけです。東西の歩行者動線はスマートな直線アプローチが断ち切られただけでなく、元はなかった高低差までつけられるなど、許せないような出来の悪さです。すでに半分進んでしまっている今から、一体何ができるのでしょうか。

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