8/12によせて
- 2007/8/12
- 藤白台
- まちの記憶
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きょう8月12日は、22年前の1985年、日航ジャンボ機123便が墜落した日です。
藤白台でも4名の方がこの123便に乗り合わせ、亡くなりました。ふじしろ幼稚園の園長先生も乗っておられました。1985年8月12日は月曜日でした。今日とおなじようにお盆を控え、羽田から伊丹に向かう最終便一本前の123便は、満席でした。午後6時に出発し、無事に着いていれば夕食は自宅で取れたはずのこの便には、北摂近辺の乗客がたくさん乗っておられたのです。
この夕方、僕は初めて行った沖縄旅行で、西表島のユースの屋上で夕空を見ていました。とてもきれいな空でした。…やがて階下から「飛行機が落ちたぞ!」と誰かが知らせに来ました。皆が食い入るようにテレビを見ていました。僕は学生時代から東京と大阪の間を何度となく行き来していましたから、盆直前の最終便に近い大阪行きであれば、満席だったであろうことは容易に想像がつきました。500人以上の人が乗っている…。史上に残る大事故が、いま、進行していることがわかってしまったのです。
たまたまその時間に旅先で空を見ていたこと、その空がとてもきれいだったこと、帰りに自分もジャンボに乗る予定になっていたこと…そのようなめぐり合わせから、この事故はとても他人事とは思えない迫力で迫ってきたのです。そして旅から帰り、藤白台で4名の方が亡くなったこと、友人の父上もまた乗り合わせていて亡くなったことを知りました。あまりの大きな事故に遺体確認は日数を要し、その夏の終わりは千里界隈でも黒い服を着たひとを毎日のように見かけたそうです。
あれから早くも22年、悲しい事故はなくなりません。きのう2007年8月11日に藤白台から見た夕空も、きれいな空でした。ご家族や知人・友人の方に思いをいたし、520名の冥福をあらためて祈ります。
コメント
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コメント (2)
ショックでした。この頃私は大学生で、この1週間後に父の郷里の鹿児島に生まれて初めて飛行機で帰省する予定だったので、何か他人事のような気がしませんでした。
聞いた話では、明石家さんまさんもこの123便に乗る予定が、仕事のキャンセルか何かで1便早い飛行機で帰阪したため、難を逃れたということです。
伊丹空港着だったんですね。確かにもしかしたら幼い頃の私の知り合いが犠牲になっているかも知れませんね…。
私も午後6時53分、黙祷をして冥福を祈りたいと思います、合掌。
きょうもきれいな夕空でした。8月の夕空は日差しは強いのにもう日の高さに盛りをすぎた秋のきざしがあって、夏至の頃にはない陰影がせつなさをつのらせます。亡くなった人を想うお盆をこの季節に置いたことも、この日差しの傾きゆえにこそでしょうね。