千里中央の再開発現場。アスファルトをはがして千里の土の色が出てきました。この黄土色。上に重機が載ってたりした日にはもう…。
ナツカシー!
40年ぶりに風景が一回りして元に戻った感じ。この色!この色だったんですよ町中が。去年、「千里ニュータウン展」でさんざん見た記録映画と同じ光景です。歴史は繰り返す?…けれど僕は4回目の年男になってしまいました。
「うさぎ追いしかの山~」ではなく、むしろこういう光景をナツカシイと感じるのは相当異常?…いや~1960年代以降の郊外育ちには、そういう子供は多いと思うんだけど…。
それにしてもこういう盛り土、昔のお味噌屋さんの店頭を思い出してしまいました。関西だけにこりゃー白味噌ですね。
コメント
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コメント (11)
そう!土といえば、この色。よそで、切りとられた斜面が黒い土であるのを見たときは、不思議な気がしたものです。
あれ?今日 お誕生日なんですか?
おめでとうございます(^_-)-☆
こういう光景を見ていると「土の色」は景色の全体を決めるので、とても思い出と直結しているのだなと思い知らされます。学生時代、東京にいた頃、真っ黒な土に衝撃を受けたものでした。
ちなみに私は「今年」年男になっただけで、きょうが誕生日なのではありません…。
この土は大阪層群に含まれるのか、それより古いのか、A氏あたりにうかがいたいですねー。
バリバリの大阪層群ですよ。
ひょっとしたら、(A氏が大好きな?)桃色火山灰層も見られるかも?
現場(住所)はどこですか?
あっそーか、千中でしたね。失礼しました。
島熊山まではモロ大阪層群真っ只中。
ピンクやアズキ火山灰層もあるハズですが…
この場所は、おーぼらさんのお勤め先にも縁がある場所ではなかろうかと思われます…
土の色が白っぽいというのは、栄養がないこと。いま、万博公園の森のあるところは、土がやせていて木が育たないそうです。関東の表土が真っ黒なのは、富栄養化しているため。ということは、そこに木がたくさん茂っており、炭素粒も多く入っているので、森に火を付けていた可能性がある。その層の下部は褐色で、縄文時代の遺跡が埋まっています。その下が火山灰のローム層で、花粉分析によると草原的な景観でした。そこからは、旧石器時代のナイフやポイントとよばれる石器が出ます、狩りをしてたんでしょうね。
千里へ越してきた頃、「こんな土じゃ芝も張れない」と、父が表層部何十センチかの土を造園屋さんに入れ替えてもらっていたのを覚えてます。(なんちゅー幼稚園児だ!)大雑把な造成は出来ていたけれど、緑の庭にするには追加オプション料金が必要だったということですね。でも表面だけだから少しショベルで深く掘ると今でも黄土色の粘土質の土が出てきます。こんな条件でよくぞここまで緑の町にしたもんだとじっと手を見たりして…。万博公園もシロウト目には「木が育たない」などとはとても思えない繁茂ぶりですが…裏方さんはすご~く苦労してるんでしょうね。
一昨日、金蘭前から小野原東のカンスーを通過したとき、その西側の小野原西でも、この千中と同じ光景が展開されていました。
おーぼらさん、それは、これですね?(曇り空で撮ったから土の色が違って見えますが…)
http://senri-g1964.at.webry.info/200701/article_5.html