ここは千里中央の第七駐車場(「東町二丁目」バス停の横)。先日から南半分が使えなくなりました。
再開発事業で、ここにもビルが建つのです。
こういうコーンとか仮囲いの柵を見ていると「ああ、ごつい建物が建って空が狭くならないといいなあ」と切に願ってしまいますが、同時にニュータウン建設時から知っている千里育ちとしては、昔の工事現場の記憶もよみがえって、「どんな建物ができるのかナ?どんな街並みになるのかナ?」と、多少ワクワクしてしまうこともここに告白いたします。
1960年代中盤、早く引っ越してきた住民のかたわらでニュータウンはどこもかしこも工事現場だらけ…。朝から日暮れまで「カーン!シュポッ!カーン!シュポッ!」という杭打ちの音がこだましていたものです。(40年後の今では杭もねじ込みドリル式になって、あの懐かしい杭打ち音は過去のものになってしまったそうです…工具会社につとめてる友達から聞いたのですが…)
そこら中工事現場だらけだったから、子供もすぐ横で見ながら遊んでましたよね。プレハブの飯場のおじさん(…と言っても今の自分より若かったでしょう)も、遊んでくれる人もいたものです。歩道のタイルをきちんと碁盤の目に敷いていくのも、見てて面白かった。(こちらの写真にあるように、歩道部分は当初アスファルトではなくタイル張りでした。)
千里中央もなんにもなくて、月面の「静かの海」みたいだったなあ。再開発されてもいい町でありますように。いい町にしなければ!この区画には病院ができるようですね。
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コメント (5)
そうそう、語り草になっている「雨の日のどろんこ道と長靴」でわかるように、道路が舗装されたのは入居後でした。いつもどこかが工事中!
くい打ちの音って、そういえばなつかし~。
「うさぎ追いしかの山~」ではなく、「ブルで削りかの山~杭を打ちしかの土手~」が原風景というのもけっこう異常な育ち方かもしれませんが、そのほうがリアリティがあったんだから仕方ないですねぇ。千里育ちの私の知人は、クズが生い茂った空き地を見るとアドレナリンが出て来るそうです。
いま、千里ニュータウンの森という文章を書こうとしています。ここでは、もともとの森を全部削り取って更地にし、そこに町をつくり、道ばたや公園に植林(ほとんどが外国産の木)し、人々は自分のうちに銘々庭を造りました。鎮守の森や里山とはほとんど無関係の森をつくったのです。子どもの時から、住んでいる人に裸地にヒョロヒョロの木がぽつぽつあるのがわたしの原風景といわれてショックをうけました。ところが、今は、温暖多雨のちでは40年少々のうちに、それらの木が森というべきほどに繁茂するにいたっています。彼らは、森(自然)というものをどう認識しているのか、たいへん興味があります。
身近にみる公園の樹木・植物が、「森」を構成しているとは感じていないですね。だって、そもそも植える木を選別してる、そして剪定し、草である雑草は抜かれる。こんなにしっかり管理されていてる木々の集合を、「森」だとおもえと言われても、ちょと・・・。
しかし、手入れされた今の姿はとっても美しいし、それを「自然」の一部だとも感じています。盆栽のように、人為的に自然をとりこんで、その世界をあじわい満足している。
しかし、成長の早い樹種が選ばれているのでしょうか、想像していたより早く立派な姿になったと感じます。木々の成長ぶりに感嘆するからこそ、工事中の姿を懐かしく思い出してしまうのでしょう。自分自身だって、チビッコだったはずなのに、立派な?オトナ(通りこしてしまいそうだけど)になっているし・・・。
藤白台でも成長が早すぎたのか、伐られてしまった街路樹もありますね。三丁目の公社横のバス通り沿い斜面には、ネムノキが植えられていたと思うのですが…ずいぶん昔になくなってしまいました。現代人は整備された植栽のほうを「森」だと感じるのかもしれないですね。