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- コンクリートの街は「ふるさと」になれるか?
写真は神戸東部新都心として海沿いの工場跡地を再開発したHAT神戸です。計画居住人口は3万人とやや小振りですが、一種の「海のニュータウン」と言ってもいいでしょう。王子公園から移転してきた兵庫県立美術館や人と防災未来センターなどもあります。
またこの町は、震災後、家を失った人たちのための「震災復興住宅」が組み込まれています。広くてオシャレな歩道、電柱埋設など整理された景観、モダンでバリアフリーの集合住宅、海の香り…と、都市計画の成果が十二分に生かされた町ですが…一人暮らしも多いお年寄りにとっては、住み慣れてきた町とずいぶん違ったつくりになってしまったことでしょう。決して拙速に造った町ではないけれど、短期間に大量の住宅供給の必要が発生し、質と量の両立を試みた点でも、災害復興住宅と高度成長下のニュータウンは似た一面があるかもしれません。
このようなコンクリートの街が「ふるさと」になれるか?…という問いに対して、千里ニュータウン育ちとしては力強くYESと答えたいところですが、40年前の千里ニュータウン住民と違うのは、入居住民の多くが転居の時点ですでに高齢化しているということです。40年かかって「ふるさと」になるのではなく、数年で「ふるさと」と呼べるよすがだけでも築くことができるかどうか?
大切なのは、やはりソフトにどこまでハートを込められるか?ということでしょう。町はハードを建設して終わり、ではなく、ここからがスタートなんだということを、全国のニュータウンとつきあってきた人たちならわかっているはずです。
コメント
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コメント (4)
HAT神戸の綺麗な夜景ですね~。(^_^)
写真の道路を挟んで右の建物が復興住宅です。震災後仮設住宅から復興住宅への転居が進みましたが、HAT神戸の復興住宅への転居は後期になり、いろんな理由から仮設住宅からなかなかでることのできなかった方が多く、独居の高齢の方が多く住んでいます。震災時に愛する人を失い、ご近所の方々ともちりちりになり、再就職もままならず、地域になじめず閉じこもりになり、残念ながら孤独死の方が多くでています。
神戸市では地域包括支援センターに主任ケアマネジャー、社会福祉士、保健師の配置以外に「地域見守り推進委員」というスタッフも配置し、独居の方々を中心に定期訪問を行っていますが、孤独死を防ぐことが困難な状況にもあります。
〔つづきです。〕
写真の右側が神戸製鋼が建てたファミリーマンションで、子供たちも多く住み、朝は複数の幼稚園バスが来て、お母様方の井戸端会議があちこちで見られる微笑ましい風景が見られます。
この二つのエリアを結ぶのは灘区は二つの陸橋とひとつの横断歩道だけでした。(昨年高齢者の死亡事故がありもうひとつ横断歩道が作られました。)今後この極端に進む高齢化のエリアとファミリー層が住むエリアの交流が課題ではないかと思っています。
千里ニュータウンも府営住宅、公団住宅、一戸建住宅で所得の格差が大きかったとは思いますが、世帯構成に大差はなかったのではないでしょうか?このあたりが今後のHAT神戸の街作りの課題なのではないかと考えています。
ごめんなさい。訂正です。先ほどのコメントは....
〔つづきです。〕
「写真の右側が神戸製鋼が建てたファミリーマンションで」は「写真の左側」の誤りです。すいません。(o__)o
tsugioさん、詳しい情報ありがとうございます。たとえるなら、昔の千里NTと今の千里NTが隣り合ってあるとも言えますね。たしかに、2つのエリアが交流できるような「シカケ」が必要なんだと思います。若いファミリー層にも何か足りなくて困っていることはあるはずで、そこに対して高齢者が何か出来ることがあればいいのですが…?