2月1日にお届けした1970年・藤白台近隣センターと同じ場所の現在を撮ってきました。
2003年のリニューアルで「藤白台近隣センター」は「ゆらら藤白台」となり、右の建物はすっかり変わりました。時計塔も新調されましたが、場所はほとんど同じ。画面左の街路樹(トウカエデ)はまったく同じ木、街路灯も同じです。新しい時計塔のほうがクラシカルなデザインになっているのが面白いですね。写真を撮るときに気がついたのは、ホントーは1970年の写真と同じ2時40分に撮ればさらに面白かったのですが…ちょっと天気も怪しかったのと、なるべく停車してるクルマがいないすきに撮りたかったので…それとあと二歩ぐらい左の位置が正しい「昔と同じ場所」なんですが、電柱の位置が変わっていて、この位置からしか撮れませんでした。
建替前の「センター」は、歩道からゆるい傾斜で少し上がったレベルで整地されていましたが、今はたぶんバリアフリーの観点から歩道と同じ高さに揃えられています。歩道と敷地の間の溝もなくなって、アプローチがスマートになっていますね。
「定点観測」って、木が大きくなったり建物ができたりでなかなか思うほど同じ場所では撮れないものですが、やってみると面白いのでまたトライしたいと思います。
●アングルは違いますが、2000年の藤白台近隣センターはこちら。こちらの写真では時計塔は写っていませんが、別カットで、建替前末期には時計も動かなくなって白く塗りつぶされ、トマソン化していたのが確認できました。つまり建替を機に時計塔を復活させたようです。
コメント
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コメント (12)
この写真もう一つっこみ。スケールの比較のため、ガキを立たせる。(季節はまあ、合ってるから)時刻を同じにするとか。
「ガキ」にもいろんなサイズがありますからねえ…。1970年のコドモはオトナになっちゃってるし。記憶目分量では、時計の高さはそんなに変わってないと思います。(ちょっと新しいほうが高いか?)この写真と37年前の写真、時刻は3時間違うのですが、きっちりその分だけ時計の影が回ってるのも面白いです(あたりまえだけど)。でもホントは時計の影は37年間に何周したんでしょう!?
奥居武さんありがとうございま~す(o_ _)o
「定点観測」っていいですね~ (*^。^*) 2枚の写真を比べるとなかなか面白いですよね~。
確かに「ゆらら」は、わずかな坂がなくなり、道路側へ迫り出してますね。30数年間で街路樹も大きくなったね~。葉が茂る頃の写真も見て見たいです。
30年前の写真左側の大きな影はB29棟でしょうか?1月の14時40分頃ってけっこうもう陽が傾いているんですね。
時計台は確かに今の方がクラッシックですね。
以前に2000年の藤白台近隣センターの写真もupしていただいていたので3枚ま写真を比べて見て見ました~ (^_^)v
30年程前には歩道と車道の間に柵はなく、2000年にはすでに柵が設置されていますね。私はセンターの西に住んでいたのでこのロータリーをよくショートカットしてセンターに行ったものです。そんなよからぬ小僧が多いので柵がついたんでしょうか?
私にとってはやはり「ゆらら」より「センター」ですね。
30年前の空は青かった~!って (*^。^*)
二枚の写真では偶然30年前の空が青いですね。
私は40年以上吹田の空=星を眺めていますが、
1960年ころから90年ころまでは夕方、西の空に水星を見ることはできませんでした。
2000年ころからシロウトでも水星が見えるまでに空気がきれいになってきています。
(水星は日没後、最高でも地平線から約15度の高さにしか見えません)
つまり、地平線から15度以下の空気中のチリが少なくなってきているということです。
こんにちの中国=北京、上海、広州などでは夜中に頭上のオリオン座すら見えません。昼間でも太陽を直視できます。
その中国の空気が日本に酸性雨をもたらしてくれてます。中国の空気がきれいになったら日本の空ももっと青くなることでしょう。
1970年の写真で左から影が落ちているのはB29棟でしょう。B29棟は当時のままだから、同じ季節、同じ時刻に写真を撮ったら影も同じ場所に落ちているはずですね。青空は変色した写真を補正しすぎた…のではなく、本当にこの元旦は快晴だったんでしょう。都心でない千里でも、やはり正月は空が澄むもんなんでしょうかね?
ところで定点観測は冬に限ると、何枚かの写真を見てて思いました。最近の千里では夏になると街路樹が茂って、昔と同じ場所で全然見通しが利かなくなってたりするのです…。
数日前、ゆらら藤白台付近で、
「ホームレス中学生」の映画版の撮影があったそう。
主演の男の子も来てたらしいですよ。
絵になる場所なんですね~我らがロータリー!
それはビッグニュース!ネットで調べたら東宝系で秋の公開のようですね。この場所は1965年に吉永小百合さんが主演した日活青春映画「青春のお通り」のロケも行われたわけですが、吉永小百合さんからホームレス中学生まで、なかなか芸域が広いロケ地です。
小百合さんの映画のロケがあったことは亡くなった母からよく聞いてました。ただ「キューポラのある街」だったといってました。どっちが正しいのでしょうか?
その後の情報によると、古江台に向かう
坂道あたりを撮影してたとか??
どこが使われてるのか(はたまた使われないのか?)は公開されないとわかりませんよね・・。
麒麟の田村くんが寝泊りしていた公園は山田らしいので、あのあたりもロケしたんでしょうかね~。
「キューポラのある街」は吉永さんの出世作ですが、埼玉県の川口が舞台です。「青春のお通り」が正解です。きっと代表作と混同されたのでしょう。
http://tokyo.cool.ne.jp/nikkatsu/maruko/senrifinal.htm
田村君が寝泊りしていた「まきふん」公園は山田西にあり、藤白台南端から2km弱。こんな近くでそんなことが…と取材に行こうかと思いましたが、訪問者が絶えないらしく迷惑カナ?と遠慮してまだ行ってません。映画は「撮影しても使わない」シーンもありますから、ほんと公開されてみないとわからないですね。
友人に教えてもらったのですが、
「青春のお通り」の動画が見れます。
http://www.youtube.com/watch?v=4tZNcpVFVYY
ニュータウンの空撮(どこをどう撮っているのかはわかりませんー)からはじまり、南千里駅
そして、後半に我らがロータリーも登場します。
これは違法アップということになるのでしょうが…貴重な映像です。オープニングの空撮は北千里付近上空から始まり、カメラはずっと東から西を向いたまま平行移動して造成間もないわが藤白台上空→山田駅付近→津雲台上空→高野台上空…と北向きに回り込んで新千里山駅にいたります。1965年だから電車は新千里山が終点で、北千里まではありません。後半の藤白台近隣センターのシーンは外部内部ともにまぎれもない現地ロケで、開設間もない藤白台センターの宣伝映画じゃないかというぐらい克明に様子がわかりますね。これぐらい賑わっていたのも記憶どおりです。吉永小百合さんの歌と関西弁も珍しいといえば珍しい映画です。映像の状態もいいですね。