超高齢社会へ…
- 2007/9/17
- 千里ニュータウン
- まちづくり, 高齢社会
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日経の報道によれば、千里ニュータウンの65歳以上高齢化率は27.5%に到達しているそうです。
日本全体の高齢化率がいま21%で、国立社会保障・人口問題研究所の昨年の推計では、27.5%という数字は日本全体が2015年頃に到達するレベルです。つまり千里ニュータウンは、日本全体より10年近く高齢化を先取りしながら進んでいることになります(丁目単位では40%に接近している場所もあり、これは夕張市と同じレベルです)。
ニュータウンは建設当時は「30歳前後若夫婦+子供」ばかりが多い非常に若い町でしたが、ここがニュータウンの特徴で、短期間に同じ世代の家族ばかりをどっと入れ、その後も満足度が高くて入れ替わりが少なかったため…さらに子供は独立して出て行ったため…普通の町よりも急速に高齢化が進行し、1985年ごろに吹田市の、1996年ごろに大阪府の、2000年ごろに全国の高齢化率を追い越し、まさに「かま首をもたげるように」(グラフに書いたら真っ青になるほどの勢いで)高齢化まっしぐら!の道を進んでいます。
一方、これから15年近く千里ニュータウンは団地の大規模建替が進み、高層化等によって若い世代が入ってくることが予測されています。つまり「現住民の高齢化×若い新住民の流入」が相殺して、表面上の「高齢化率」は、あるところで進行が止まるだろうとも言われています。
じゃあ高齢化した住民はしょぼくれて暮らしているのか?ということですが、とーんでもない!(もちろんあくまでも全般的傾向ですが…)現在60代後半に人口のヤマがあるニュータウンのおとしより…なんて言葉も違和感あるなあ…は地域社会で大活躍中!というのが私の率直な感想です。会社や子育てからは解放され、お金にも困っていず、多少の不調はつきものとしても健康管理もきちんとしていて、コミュニティ意識も高く…65-74歳の前期高齢者は、まさに「地域社会の大黒柱」と言ってもいい大車輪ぶりです。
では千里の未来は明るいのか?…と考えると、ここが油断は禁物!10年後に、現在の大量の前期高齢者は、どどっと後期高齢者(75歳以上)になります。今と10年後、表面的な「高齢化率」(=65歳以上)の数字は仮に同じでも、今は元気な前期高齢者率が高く、10年後は後期高齢者が多くなるでしょう。ニュータウンではこの変化が、特に顕著に出ます。
もちろん80歳でも90歳でも、元気な人は元気です。でも全般的傾向としてみた場合、要介護の人がいる家庭の比率は、今よりもさらに増えるでしょう。わが家でも母の自宅介護を4年あまり経験しましたが、それは大変なことでした。影響は、家族の生活すべてに広がります。もちろん介護保険も利用しましたし、信頼できる施設もあるのでしょうが…
「団塊定年」で高齢社会論議がさかんですが、やはり書いている人が若いのか、前期高齢者と後期高齢者の論議が、どうもごちゃごちゃになってしまっている気がします。今のお元気ぶりでは前期高齢者は明らかに「支えるほう」ですが、その人口集団が「支えられるほう」に回ったときには、全く新たな状況が生まれるでしょう。
もう、この問題は数百字で書ききれることではありません。ただ私が痛感することは、高齢化社会では「目の前の他人」がどれだけありがたいかってことと、千里では第一世代がお元気な今のうちに、「地域の絆」をしっかり作っておかないと大変なことになる。とくに異世代が交流するマインドを育てておかないと、同世代だけで固まっているとどうにもならなくなるだろう…ということです。
「敬老の日」にシビアな見解ですが、今から真剣に考えることこそ、敬老なんじゃないかと。千里ニュータウンは人口のヤマが60代後半にあるというやや特殊な意味でも、これから日本中で団塊世代が高齢化していくときの「都市型超高齢社会」のパイロット的存在になれるのです。
コメント
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コメント (2)
…「目の前の他人」「地域の絆」…なるほど、勉強になりました。私の暮らす地域も高齢化が進行しています。地縁関係の強い土地なので、新しい人たちが入ってくることはあまりないのですが、私たちの世代がその狭間に立っているんだろうと思います。都市部では世代や住居歴を調整するコーディネーターのような役割も求められていくのでしょうね。
都会郊外の、核家族のカタマリのような歴史の浅い住宅都市では、昔ながらの地縁が強い土地とは違った「高齢社会への備え」をつくる必要があります。家族だけで超高齢社会は絶対乗り切れませんから、じゃあ家族以外は皆赤の他人…では困るわけですよね。都会人はプライバシーのバリアーが(特に近年)高いので、この観念と「共助の精神」を両立させるシカケが鍵になると思います。