町を守る心(1943年3月25日・神戸魚崎)
- 2008/1/17
- 災害体験
- まちの記憶, まちの人々, 神戸
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彩都の連載中ですがきょうは1月17日ですので…。
私の母の実家は神戸魚崎(うおざき)にあり、13年前の阪神大震災で全壊しました。(私自身も芦屋で震度7を体験しました。)叔父・叔母はからくも助かり、春先ごろだったでしょうか、ダンボールいっぱいの古い写真を千里まで持ってきました。「瓦礫の下から引っ張り出したんだけど仮設住宅に置く場所もないから…」ただどさっと埃だらけのダンボールに詰め込まれた大量の古い写真…。そーっと出して見てみると明治中ごろから昭和40年ごろまでの写真がごちゃごちゃに入っていました。震災の前の年に亡くなった祖父と、万博の年に亡くなった祖母が取っていたもののようです。預かってはみたものの…貴重な内容であることは察せられたものの、どうしたらいいのか…。なすすべもなく歳月がたちました。やがてパソコンが普及してきて、とにかくこれは全部データにしようと思い立ったのが2000年ごろ。数年かけて2000枚あまりをスキャナで読み込み、傷みを修整し、慎重に「似たもの集め」をして年代順を推定し…親戚の中で一番古いことを知っていた長女の母に聞き取りを始めましたが、母は体調を崩し、半分ぐらいの話を聞いたところで2005年に時間切れとなってしまいました。
この写真は戦争中の昭和18年春、阪神魚崎駅の南西、住吉川のほとりで撮られた記念写真です。写真の裏にはっきりと撮影日が刻印されていました。町内会の消防訓練のようですね。たくさんの写真の中でもさすがに戦時中のものは少ないのですが、これは珍しくしっかりとした用紙に焼き付けられた大判の写真です。戦争が始まって1年4ヵ月、まだ物資の困窮はきわまっていなかったのでしょうか。私の祖母も防空頭巾をかぶって写っています(後列右から6人目)。
魚崎は空襲で焼けた部分もあり、震災では大きな被害を出しましたが、この写真を見て思うのは、どんな運命に巻き込まれても人々は自分の町を守ろうと尽くしてきたということです。戦時色を強く感じさせる写真ですが、「お国のため」というよりは、自分たちが暮らしている町を自分たちで守りたい、という意志を僕は強く感じます。
その気持ちがあれば…その気持ちだけが…町を何度でもよみがえらせるのだと、母が育った魚崎の町の人たちに…瓦礫の下から出てきたこの写真に僕は教えられるのです。
コメント
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コメント (9)
私の父は奥居武のお母さんの実家とは住吉川をはさんで対岸にあったようです。というのも神戸の大空襲(正に『火垂るの墓』と同時代)で家は全焼し、その後は九州に引っ越したそうです。父も認知症で当時の様子を尋ねることもできなくなってきました。千里の記憶も今のうちに記録しなければ失われてしまいます。どんな些細なことでもどこかに記録しましょう。
貴重な写真ですね。
多くの写真をデーター化するなんてすごい!
私の実家にも明治時代の古い写真が眠っていますが、今じゃ誰が誰だか分からない。
僕がやはり感じたのは、家を失ったりすることもそれは大変なことですが、過去の記録が一瞬で消えてしまうことも、辛いことだろうということです。人は「現在」だけでは生きづらいものだからです。少しでも手がかりがあるうちに、記録の断片から記憶を再構築していくことはとても大切…。一人では無理でも皆で話しているとジグソーのピースが合ってくることもあります。ちなみに大量の写真を年代順に並べる大きな「絶対尺度」になったことは、祖父の頭髪の後退加減でした。とても助かりました。生きてたときにハゲをからかって悪かったなー…って、この文章もからかってるか…。
まったく土地カンのない私ですが、じっくり拝見させていただきました。記録(写真)をつなげていくということは大変ですが、身近な歴史を辿るということは、自分のアイデンティティを探すことなのかなあと思いました。頭髪には気をつけたいと思うこの頃です。
魚崎は清酒の「灘五郷」のひとつです。灘の清酒を口にすることがあれば神戸を思っていただければ幸いです。戦争前のある時期には谷崎潤一郎が松子夫人と住んで『細雪』を書いていました。今も残る旧居の「倚松庵」は「松に寄りかかる」という意味ですが、これは松子夫人と、当時は魚崎にたくさんあった松の木と2つの意味をかけていることが写真からも察していただけると思います。浜が近く海の香りがする町でしたが、高度成長期に浜は埋め立てられてしまいました。今は沖に六甲アイランドが造られ、この写真の位置を六甲ライナーが走っています。
本題の地震に関して・・・
1.17地震発生当日から数日間の病院の動きや当時の貴重な経験談が下記URLで読むことができます。地震が起こったら病院もたいへんなんですね。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/10-157/
震災の頃はまだブログもありませんでしたが、ネット上で経験を記録共有しておくことも大切ですね。その体験を読んだ誰かが「次の時」に助かるかもしれませんから…
魚崎の1.17会のメンバーのこうじと言います。「町を守る心(1943年3月25日・神戸魚崎)」 を投稿の中で魚崎の古い写真があると記載されていました。魚崎の歴史を残しそうと今、16歳から82歳のメンバーで魚崎の写真を探しています。連絡をさせていただきたいのですが、お願いできないでしょうか?
「にぎわいネット 魚崎」に連絡をお願いできないでしょうか。
6年前の寄稿なのでこのお願いが届けばいいのですが。
にぎわいネット魚崎さん、了解しました。サイトからご連絡します。