千里中央に接した北町の団地…
新しい商業施設の照明が団地に照り映えて、写真の被写体としてはファンタジーを感じるのですが、最前列の棟に住んでいる人はさぞまぶしいのでは…?
千里ニュータウンの再生に際して、住宅地と商業地を今後も今までのようにハッキリ分けていくか?もう少し柔軟に考えて「こなれた町」にしていくか?…議論が分かれるところですが、いずれにしても「接する面」というのは必ず生じるわけで、プロの方には慎重かつスマートに「共存できる」設計をしてほしいものだと思います。
「町が暗い」というのも寂しいものだし防犯上の観点もありますが、効果的に「光」と「影」を設計することはできるでしょう。照明設計はとても大切。日本最初のニュータウンなんですから、いい設計をお願いしたいです。
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最近ふと気づいたことですが、団地タイプの建物が日本に爆発的に広がり始めたころ(ニュータウンがその推進力であった)、コンクリートの建物の寿命は何年かという、ことが論議されていました。しかし、それまで庶民は粗雑な木造の家に住んでたために、そのあまりの見かけのおおきさ、堅固さをみて、永久に(近く)もつとおもった記憶があります。そんな考えをもった人がほとんどだったのではないでしょうか。その謝ったイメージが、ニュータウンをいかし続けるという思考を落としてしまったことが、今日のあわてふためきを起こした原因ではないでしょうか。
当時は木造の長屋から団地に移った人も多く、鉄筋コンクリの建物は半永久的にもつという感覚を持ってしまったことも不思議ではありません。じゃあ実際は…?というと、60-70年という数字をよく聞きますが、それは物理的な理論上の寿命であって、それよりも中の設備が時代の変化に追いつかなくなったことや(社会的陳腐化)、建て替えて高層化したほうが経済的であるという理由であったり、実際の施工が経験不足で拙かったために理論上より傷みが早い…という声がよく聞かれるようです。
昨今の千里の状況はたしかに「あわてふためき」と言ってもいいことに近いのかもしれませんが、じゃあ早く老朽化に気がついて議論を始めたところは…?と言うと、かえって「まだ早い」と結局決着まで10年以上かかっているケースもあるので、要は「一つの建物を共有している」という場合のコミュニティの方法論が育っていなかった…(社会の経験値もほとんどなかった)ということが戸惑いを引き起こしているのでは?と思います。