こちら千里中央…
高齢社会になって「バリアフリー」が注目されるようになり、住民や学生によって調査やマップ作りがされているようですが…千里中央は歩道橋だらけ、階段だらけ…「北大阪の副都心」というわりには、かなり問題が多いようです。
うちでは以前、母を自宅介護していた数年間があり、車椅子で行きたい場所へつれて行くために「バリアの有無」をチェックすると、あらためて千里中央の段差の多さに驚いたことがあります。あらかじめ、自分だけの時とは違うルートを頭の中で組み立ててから出かけないと立ち往生しそうで…
千里ニュータウンが建設された1960年代、バリアフリーよりも熱心に取り組まれたテーマは「歩車道分離」でした。当時はクルマの台数が急激に増えたことに街の設備やマナーが追いつかず、交通事故死者数は今よりも2~3倍も多かったのです。「交通戦争」という言葉もありました。
このために…特に後半建設の西側6住区では、元の丘陵の高低差を生かして、歩道橋が架けまくられたようです。とにかくクルマと人の平面交差をできるだけ避けようと。当時の橋の愛称図を再現すると、いかに多くの橋(それも多くが歩道橋)が、ニュータウンの中に架けられたかがわかります。
千里中央も敷地内にゆるやかな高低差があり、ビルごとのフロアのレベルが揃っていないものを歩道橋やデッキで結んだために、大量の階段ができてしまいました。敷地の余裕がないためにスロープがない箇所もたくさんあります。「歩車道分離」は徹底して意識したのに「バリアフリー」の意識がまだなかった…その「歩車道分離以降、バリアフリー以前」の設計思想が「階段だらけ」の光景を生んだといえます。エッシャーのだまし絵みたい?
こういう状態を放置していると、いくらビルを新しくしても、高齢者やベビーカーのお母さんは来ないと思うのですが…(設計が新しい町は、この点はさすがにちゃんとできてます)。土地の権利関係(府、市、民間)が複雑に入り組んで改善が難しい事情もあると思いますが、こういうことを直すのが、ジミでもいい再生につながるんじゃないでしょうか?
コメント
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コメント (2)
千里ニュータウンはじめ北摂にはただ年月だけが過ぎ、廃墟した老朽都市ではなく、
ヨーロッパのような歴史が武器になる気品を感じます。建物すべてが。
昭和で廃れた街ではなく、昭和の気品を受け継いだ街。
日本のどこよりも早く100年を迎えるニュータウンであり
日本のどこよりも歴史のあるニュータウン。
過去と現在を繋ぐ建物郡は素晴らしい遺産景色です。
法隆寺を見学した時のような歴史建造物に感じるゾクゾク感。
たかが駅と言われるかもしれませんが私が千里中央駅周辺に感じる感覚です。
こんな事思う私はおかしいのでしょうか。
「昭和の気品」とまで言われると、地元住民としてはウレシイような気恥ずかしいような…(僕が作った町じゃないけど…)。でもありがとうございます!おかしくないと思います!千里はただいま大規模更新期を迎えていて、今後10年あまり相当数の建物が建て替えられていくことになりますが、「昭和の気品」を保って「平成の活気」も加えていく…ということが求められているのだろうと思います。いやなんだかすごいキャッチフレーズですが、キャッチフレーズ負けしないように微力ながら頑張りたいと思います…。千里中央周辺だけでもブログができるぐらい、いっぱい見所がありますね。