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未来都市1979(芦屋浜シーサイドタウン)
- 2009/8/23
- 日本のニュータウン, 関西
- 団地, 建築
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芦屋浜シーサイドタウンが1979年に出現した時、皆が度肝を抜かれたのは、最高29階建てという(住宅では当時日本最高の)高さもさることながら、ユニット工法をつきつめた無機質で未来的な景観にありました。
その「思い切り方」は、「高級住宅地の浜にあんな屏風を建てて眺望を塞いで!」「人間はそんな高い場所に暮らせるのか?」と多くの論議を巻き起こしましたが、一般人から見れば「アッケにとられた」という感覚が一番近かったかもしれません。高度成長期は終わっていましたが、まだ皆ゆるやかに未来は信じていたし、たしかに「未来都市って、こんな感じかもしれないなあ…」という感じはしたのです。
この町ができてから、六甲山はおろか遠く北摂の丘の上からも、「ああ、あそこが芦屋だな…」とはっきりわかるようになり、ランドマーク性は抜群でした。
大阪から見ると、西陽の中に立つシルエットは不思議な情感をたたえ、今の「コンビナート萌え」に近いものがあったかもしれません。
ガスが使えないオール電化、地域冷暖房、真空ゴミ収集システム、スキップ階に設けられた空中遊園など、外観だけでなく、設備面もまさに「未来都市」でした。
日本がバブルに転がり落ちていく1980年代が始まる1年前のことでした。
コメント
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コメント (2)
この芦屋浜シーサイドが建設されている頃、すぐそばの伊勢町にいました。埋め立てた土埃の中、無機質なコンクリートがむきだしになったマンション見学にも行きました。吹き抜けのフロアーがあり、斬新なデザインでした。でも住みたいとは思いませんでした。それに、それまでの浜の景色が台無しになって、市民には悪評でした。
へえ、みっちゃんさんは神出鬼没ですね。伊勢町はシーサイドのすぐ北側ですから、「浜辺の町」の座を奪われた上に眺望も塞がれ、とても賛成できない…となったでしょう。谷崎潤一郎記念館や芦屋市立美術博物館のへんが好きでたまに行きましたが、「ああ、昔のようにこのそばに海があれば…」と想像しました。ニュータウンを建設すると必ず周囲と「新旧」の対立が起こりますが、芦屋浜はプロジェクトが大胆だっただけにその葛藤も大きかったと思います。伊勢町って、名前が風流ですよね。