海のニュータウン(芦屋浜シーサイドタウン)

長かった梅雨が明けたと思ったら、もうツクツクボウシが鳴いていますが…せめて海のニュータウンでも歩いてみましょう。
お盆の空気がきれいな日を選んで、阪神間にある芦屋浜シーサイドタウンを歩いてきました。ニュータウンには千里や多摩のような「丘のニュータウン」と別に、「海のニュータウン」とも言える埋立地の一連のニュータウンがありますが、ここ芦屋浜もそのひとつ。ここから西へ、六甲アイランド、ポートアイランド…の順で並んでいます。
人口150万の神戸市の東隣にあって、芦屋市はわずか人口9万。市域は東西に3km、南北に9km(しかも中北部は六甲山で平地は3km)程度しかない小さな市ですが、日本では「富裕層が多く住む住宅都市」として有名です。南欧の小国モナコのイメージがだぶるのは僕だけでしょうか?震災前、僕が住んでいたころに使っていたスローガンが「小さな大都市」。関西の市町村は個性派ぞろいですが、住宅地としての「芦屋」のブランド力は際立っています。
…とは言っても実は庶民派の区画もあり、また一般に言われるように「山手が高級、浜手が庶民的」というほど単純でもありません。山手には山手の良さ、浜手には浜手の良さがあり、明るくて、誰にとっても住みやすい「ざっくばらんな町」…というのが僕が感じる芦屋の個性です。(首都圏では葉山・鎌倉あたりのプロフィールが近いと言えるでしょう。)
出典を思い出せないのですが、高度成長期直前、芦屋市の人口は約6万人。しかし都市経営は規模が小さすぎても大きすぎても効率が悪く、10万人程度がコミュニティとして最適の規模である…という理論にのっとり、既成市街地の山側に2万人、浜側に2万人人口を増やそう…という長期計画があったとか。
芦屋そのものはニュータウンではありませんが、市が人口増に関する明快なポリシーを持っていたとすると、その計画は非常にニュータウン的ではありませんか。
高度成長期に泳げなくなった芦屋浜を埋め立て、1979年にオープンしたのが芦屋浜シーサイドタウンです。現在はそのさらに沖を埋め立て、南芦屋浜(潮芦屋)と呼ばれる町が生まれています。この写真は芦屋浜から南芦屋浜に渡る浜風大橋の上から。背後は六甲山。中央の超高層住宅群は、完成当時、未来的な設計と、日本で一番高さの高い住宅として話題を呼びました。埋立地と言えば=工業地帯が常識だった時代に、芦屋市域だけは埋立地も全て住宅地に使ったのは、やはり「芦屋だから」でしょうか。

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