【蔵出し】公社藤白台・斜面一次整備直後(1976年)
- 2012/3/23
- 藤白台
- まちの記憶, 団地
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すっかり更新があいてしまいました…年度末は何かとあわただしいのに花粉症…なんでまたこんなときに…ほぼ能率ゼロの状態でほふく前進ちゅうです…
さて!今回お届けするのは永井俊雄さんの貴重なコレクションからお届けする【蔵出し】シリーズ第5弾!ややっ!ミョーにこざっぱりした藤白台公社内の斜面の様子です。A17棟の上から撮っていると思われます。屋上からなのか、最上階のお宅にお邪魔しているのか、ビミョーなところ。
数年前のクズボーボーのジャングル状態から一変!…しかし最近(建替着手直前)のように斜面は森…というのとも違います。雑木林をばっさり切り倒し、きっちりコテで盛り直したように整地し、その後「ふれあいの道」と名づけられる小道を小学校から藤白橋のたもとまでつないで、しかし斜面には何も植えてない…。画面中央の「三角公園」も原型が現れましたが、まだ広場のようにはなっていません。今もある長い階段の通路が出現し、その左下には小さく焼却炉が見えていますね。そうです、この写真で見えていた焼却炉です。あの光景が数年後に上から見るとこうなったのです。
左上には青山台のC74棟がまさにそびえたっていますが、北公園の向こうに今は見える国循(国立循環器病センター)はまだありませんね。国循の竣工はこの翌年、1977年になります。だからこれは国循ができる直前の光景でもあるわけ。
この道が「ふれあいの道」と名づけられるのはずっとあと、21世紀になったころで、うちでは「団地の近道」とか言っていましたが、この小道を通らせていただくことで、駅へのアクセスは飛躍的に近くなりました(それまで、良識ある大人はバス通りに沿って…「三色彩道」という名前もまだなかった…団地を大回りしていたのです)。冒険好きの子供しか寄りつかなかった団地の真ん中の雑木林が、こんなにスパッっとした空間に変身した驚きは、「駅に行くのが近くなった!」ということ以上に、新鮮な驚きでした。
…この整備で子供の秘密基地も壊滅状態になってしまったのですね…
コメント
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コメント (2)
いつも懐かしい藤白台情報をありがとうございます。
この写真で思い出しました!!焼却炉に下りるまでの
中間あたりに砂場のある公園なかったですか?
ここで夏の夜、子どもたちだけで花火をしていて
(昔は今より無防備な親?)燃えカスの火種が、
辺りの雑草に燃え移り、ちょっとしたミニぼやみたい
になったのをン十年ぶりに思い出しました!!
子ども心にあせって、砂場の砂を皆でかけあい、
ことなきをえました。辺りに水がなかったのでしょう。
そんな出来事、今の子ども達ではあまりないかも…。
出来立てのコンクリートの白く細い歩道は
ボーダーのような凸凹線でしたね…!
この写真では斜面の一部のように見えている真ん中の三角形の敷地が、このあと公園に整備されます。通称「三角公園」。(まんまやん!)その写真もありますよ。歩道に縞状の凹凸がついていたのは雨でも滑りにくくて素朴な味わいがありました。