3月11日に思い出したこと。
- 2012/3/11
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この重い日に何を書くべきか…悩みましたがつい先月、2月6日大阪発のトワイライトエクスプレスの食堂車で出会った人のことを書くことにします。
どうやら1週間の休みが取れることになり、去年から行きたかった「冬の北海道のニュータウン単独見学ツアー」を実行しよう!と思い立ったものの、よく考えたらこれは往復飛行機より、行きだけでもトワイライトエクスプレスに乗るチャンスではないか?トワイライトエクスプレスは大阪から札幌まで22時間かけてたどり着く、日本最長の寝台列車。車両は既存車両の改造でかなり古いのですが、個室主体の贅沢な作りで、日本の列車の中で「時間をかけて旅を楽しむ」ことに特化したたった1往復の列車です。個室主体ゆえ乗客数は少なく、この指定券はプラチナチケットとして有名ですが、値段を調べると「移動+1泊分の宿泊設備+22時間も乗れる1,500kmの車窓」と考えたら、決して高いわけではありません。それにネットで調べると、1ヵ月前の売り出しから何度かまめにチェックしていれば、キャンセルも出てくるようなのです。運よく2度目のトライでB個室の券が入手できました。
札幌行きのトワイライトエクスプレスは11:50に大阪駅を出発します。多くの寝台列車は夕方~晩に出発するものですが、この列車はそれだけ乗車時間が長いから…翌朝9:52の札幌着まで、3回も食事時間があるのも、日本ではこのトワイライトエクスプレスの札幌行きだけです。昼食・夕食・朝食…。夕食はまだ光があるうちにと17:30の回を予約してしまったので、13:00の開店後さっそく食堂車に出向きました。食堂車「ダイナープレヤデス」のテーブルは2人席か4人席しかないので、ひとりで行くと必然的に相席になります。由緒正しいカレーを食べ終わるころ、「お兄さんは、どこから来たの?」と、そのおじさんはテーブルの向こうから話しかけてきたのでした。
人なつこい丸い目、がっちりした体格、黒い腕…「宇和島で漁業をやっている」という自己紹介を、そのまんま絵に描いたようなおじさんでした。まだ乗ったばかりの昼食なのにシチューにワインを飲んでいて、そのワインもあれこれ聞いたうえで持ってこさせているのです。「自分で取った魚は、フグでも自分でさばいて仲間に振る舞うんよ。お店みたいにきれいにはいかんけれど、こっちは実質本位だから」…と、漁師だけあって食には一家言ありそうです。ワインを分けてもらって、早くも酔いが回るころ、列車は湖西線の雪景色の中を走っていました。22時間もあるのだし、こちらもひとりですから、急いで個室に帰る理由はどこにもありません。
雪まつりを見に行く、若いころは安城の自動車工場で働いていた、神戸の娘さんの家で一服してからこの列車に乗った、娘さんのご主人はIT系の仕事で羽振りがよさそうだが今回小遣いはくれなかった、ススキノ楽しみにしてたのに…といたずらっぽい話し方でなかなか面白い人だなと聞いていたら、突然おじさんは「もう末期がんだと言われていて余命がそんなにないらしいんよ」と、びっくりするようなことをほんの1時間前に会ったばかりの僕に話し始めたのでした。
(本当だろうか…?)このおじさんは旅の退屈しのぎに気を引くようなことを言っているのか?…いやいやでも何のために?…と心の中で話を値踏みしてみるものの、そういえば体格のわりにシチューは頼んだきりほとんど進んでいないようです。この旅行も病院から一時外出の許可を貰ってやってきた、朝札幌に着いて一晩雪まつりを見たら次の日には飛行機で帰る、帰ったら病院に直行だ…正月に言われたのは誕生日まで持つかどうか、誕生日は2月27日だというのです。そんな話を深刻な様子も見せず、どこか楽しんでいるような…その日は2月6日で、あと3週間以内の命だと言われている人がトワイライトエクスプレスの食堂車でワインを飲んでいる…そんなことって、あるだろうか?と思いつつ、旅は道連れでもあるし、日本で1本だけの特別急行の車中では、そんな話も不思議ではないのかもしれません。
命にかかわる話をしているのに、同時に、食堂車の係の女性を見ながら「ああいうプリプリッとしたタイプが好みなんよ」とか、「とにかく子供は作らにゃいけん」とか、なんだかユーモアがある。車窓は敦賀を越えて北陸トンネルに突入していました。コーヒーを頼んで「山崎」のミニチュアボトルを頼み、「コーヒーにこれを垂らすとうまいんよ」と、どんどん話に引き込まれていきます。
食堂車の係員も心得たもので、夕食の時には通路を挟んで隣のテーブルに僕らの席はなっていて、つかず離れずの会話はずっと続いたのでした(12,000円のフレンチのコースは、やはりあまり食べておられなかったようです)。朝食は僕のほうが遅い時間帯を予約していたので一緒にはなりませんでしたが、朝起きていくと隣のサロンカーで熟女の団体に囲まれていました。話が面白いから、このおじさんはどこでもすぐに友達を作ってしまうのでしょう。
列車の中では時間の経過が場所の経過に置き換えられて、22時間の長旅でも終着駅が迫ってくるのが切実に感じられます。どんな長旅でも終着駅はやってくる。人生は列車に後ろ向きで座ったまま運ばれていくようなものだ…将来はわからず遠ざかる過去だけを見送っていく…と(誰の発明したたとえなのか)聞いたことがありますが、誰の人生でもそのようなものでしょう。
すでに2月27日も過ぎてしまいましたが、あのおじさんは誕生日を迎えたのだろうか?もしあの話が本当で(ウソをついても仕方ないな、というのが僕の結論です)、今頃生きておられなかったとしても、たしかにトワイライトエクスプレスでおじさんは旅を楽しんでおられた。日本で1本ぐらい、そういう列車があるのはいいことだし、誰の旅でもいつか終わるのならば、車窓は最期まで豊かであってほしい…。震災から1年がたち、生き残ったために苦しんでいる多くの人に、生きていることはやっぱり意味があるからどうぞ投げ出さないでくださいと、おじさんからの(勝手に忖度した)メッセージを伝えたいと思いました。生きている。それだけできっと、何かの意味があるのです。
名前も伺わなかった宇和島のおじさんの旅が、豊かであったことをきょうはあわせて祈りたいと思います。
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コメント (10)
トワイライトエクスプレスには乗ったことはありませんが、二十歳頃から北海道にはまり「寝台特急日本海」には、何度かのりました(あとは「白鳥」「八甲田」「津軽」「北国」)
ついこないだ、大阪駅で17時40分に待ち合わせをして 少し早くついたので、ふと思い出し 時刻表みたら 日本海の発車時間がせまっていたので、入場券を買い ホームにあがりました 多くのファンが・・・なくなるのか・・・寂しくなるな・・・ 初めて就職して 6日間の盆休み 日本海を使い 道東を往復したのが思い出です(そう、向こうにはほとんど滞在出来なかった)
「日本海」「きたぐに」も定期列車としてはあと少しですね。「トワイライトエクスプレス」も車両がかなり古いので、実は心配しています。
学生時代に日本海側を列車を乗り継いで、青函連絡船、さらにまた列車の旅で北海道を一周しました。新潟や秋田のあたりで乗り込んでくる人たちの言葉を聞いて驚いたのが楽しく思い出されます。個室の寝台車か~~ 一度乗ってみたいものです。
漁師さんのメンタリティーって、やはり農民とちがいます。なかなか面白い人が多いですよね。
ところで、今日の朝日新聞の関西版にニュータウンの話が出ていましたね。奥居武さんの名前も。北千里駅の1968と2013年の写真の対比は興味深かったです。
ムクドリさん、ありがとうございます。千里市民フォーラムでやっていることは「50年記念事業」とは別なのですが、明るいとらえ方の記事でした。
僕が乗ったのは「個室だけどB寝台」というビミョーなグレードの部屋だったので、ベッドを作るとほぼ歩く余地はない、という狭さでした。しかしとにかく起きると北海道の雪景色!というのは素晴らしいものがあります。イスの状態のときもほとんどトイレに座っているような狭さでテーブルにはめこまれている状態なので、原稿書きには抜群に集中できる環境でした。一列車に乗っている人数が少ないので乗客乗務員に親密感があり、小さなホテルのような心地よさがありました。
JRダイヤ改正のたびに、廃止列車や廃車車両が出るのは、いつ知ってもさみしいです。
日本海縦貫線で思い出すのは「白鳥」ですね。
トワイライトエクスプレスには、新車両の投入を気長に待ちますかね。
「日本海」も、新幹線100系も300系も走り去ってしまいましたね。大阪から青森まで行く「白鳥」も風格あったけれど今は昔…。トワイライトエクスプレスは明らかに車齢がぎりぎりまできてるので(40年前の車両を改造してもう20年も使っている…)、長距離列車の貴重な生き残りとして、カッコいい新型車両を投入してがんばってほしいです。
鉄道ファンでなくとも皆列車の思い出はいろいろあると思います。残念なのは、昔と違って列車が長距離の移動手段でなくなったことです。トワイライトエクスプレスは特殊な列車であって、乗る機会をわざわざつくらないといけないことです。新幹線が出来て高速道路ができて、飛行機移動が増えて、それは便利な世の中ですが、国鉄が持っていた旅情、列車と旅の思い出も、JRに変わり列車も減り、団地が建て替わるように変わっていくのですね。
僕は「鉄」かつニュータウンマニアなので、「団地が建て替わるように」というところで「うっ…」ときてしまいました。鉄道はマストランスポーテーション、団地やニュータウンはマスハウジングの「システム」として、社会の実用に耐えるように造られ、その実用性ゆえに社会の変化にさらされている…という共通点がありますね。もともと「郷愁の対象」なんかじゃなかったのです。でもサイコーに冷たい機能性の象徴みたいな新幹線車両の引退に皆がこれだけ手を振るっていうことは、人はいろんなものに思いを寄せられるということなんですね。もともと「マス」が対象だから、大勢の人の思いを受け止められるようにそもそもできている…ということですね。
高度経済成長の60年代に「マス」が急速に発展した、そして今、その「マス」が次々と次世代物に切り替わる時期を迎えつつあるのでしょうね。飛行機ではボーイング747、いわゆる「ジャンボ」の退役が話題になっています。昨年JALから全機引退、今年はシンガポール航空からもついに全機引退のニュースが。「長距離飛行と言えばジャンボ」の時代を知る一人として世代交代の相手がA380とかB787というのは寂しい気がします。昔FM大阪で深夜に放送していたジェットストリームを思い出しつつ・・・話が逸れてすみません。
まさに「大きいことはいいことだ」の時代ですね。それから40年以上もたつのに、それに代わる幸せを、僕らは見つけていないのかも。資源、エネルギー、人口圧力(世界で増加、日本で減少)の制約はハッキリと見えてきているわけですから「答えがまだない」とか言ってる場合じゃない。ニュータウンで育って、これからも生きていく者としては、新しい工夫で時代の問題を解決する気持ちを、忘れないようにしたいと思います。…って、すごく格調高くなってしまった…