1月17日、震災25年目の日の神戸を歩きました。報道では震災発生時刻、またはその12時間後である17時46分を中心に追悼会場に訪れる人たちの姿が多く取り上げられていましたが、その時間を外して行ったためでしょうか、思いのほか人が少なく、報道陣の姿ばかり目立って、「さびしいなー」というのが率直な感想。25年たったことを逆に実感してしまいました。冬の平日はこんなもの…と言ってしまえばそれまでですが、神戸と言えばはなやかなイメージを期待してしまう拡大関係者(母方が神戸出身)としては複雑な気分です。
日経新聞が特設サイトで、神戸の経済・産業が震災後どのように推移したかに触れています。ここでは言及がありませんが、神戸はインバウンドの波にも乗れていないことは、数年前から言われています。震災前、京阪神の中で一番「観光」で押していたのは、京都でも大阪ミナミでもなく、神戸でした。1978年の朝ドラ『風見鶏』で舞台になり、地方博としては大成功と言われているポートピアが1981年にあり、その後震災までの15年間は、「 株式会社神戸市」などと言われて、神戸の「対外押し」が一番光っていた時期でしょう。その頃僕は東京にいましたが、渋谷の駅にも神戸のポスターが貼ってあって、女子大生の人気旅行先としても神戸は上位に食い込んでいました。
やはり神戸は港町ですから、外に対して発信ができていないと「神戸らしく」ないのです。インバウンド誘致に力が入らないのは「欧米人に異人館を見せても仕方ない、中国人に南京町を見せても仕方ない」のではなく、ストーリーの掘り下げが足りないことと、震災後、経済基盤が大きく低下し、市民生活の復興を優先せざるを得なかったことが重荷になっているのかもしれません。
震災は「人がなくなる、建物が壊れる」だけでなく、経済にも大きなダメージを長期間にわたって残します。25年といえば四半世紀です。町が町としての求心力を保つためには、やはり経済は欠かすことができないものです。中心市街地が元気にならないと、郊外のニュータウンも元気になりません。それは、セットです。
そしてこのような状況は、今、日本のどこで起きてもおかしくはないし、日本全体を巻き込む事態も「ありえない」とは言えないです。つまり十分な防災は、未来の経済に対する投資でもあるわけですね。これは過去の話ではなく未来の話として、神戸が経済面でもはなやかで、おしゃれで、にぎやかな姿を取り戻すことを、冬の空に願いました。
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2021年 1月 17日トラックバック:ゆるやかな被災 | アラウンド・藤白台
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