逃れてきた山古志村役場(跡)

きのうきょう撮ったみたいな桜の咲き方ですが、この写真は昨年(2010年)のゴールデンウィークに撮ったものです。ここは新潟県の長岡ニュータウンなので桜はその季節に咲くのです。
さて日本中のニュータウンに行ってみて、その姿は千差万別であるわけですが、ほぼ全部の「ニュータウン」に共通するのは、「タウンセンター」があることです。「ニュータウン」は勝手にできた町ではなく大いに意識して計画して造った町ですから「ここが町の中心です」という一角は必ずあります。町の外周、境界線は必ずしもはっきりしてないこともありますが(千里ニュータウンみたいに緑地でハッキリ囲ってあるのはむしろまれ)、タウンセンターがないニュータウンは、ほぼありません。
「タウンセンター」にはだいたいショッピングセンターがあり、その隣に銀行や役場の出張所やURの事務所などを集めた「センタービル」があります。「センタービル」のほうはたいてい人影がありません。
「タウンセンター」は東京や大阪のニュータウンでは鉄道駅に併設されていることが多いですが(多摩センター千里中央)、地方に行けば行くほどクルマ社会になるので鉄道駅がない「タウンセンター」もたくさんあります。名古屋の高蔵寺ニュータウンはけっこう大きいのに「タウンセンター」がと全然違う場所にあるのは、クルマ社会の中京圏らしい特徴です。
ここ長岡ニュータウンではかなり大きな計画をやって、実際には一部しか埋まっていないので、この「センタービル」もひっそりとしています。この裏手にショッピングの店舗がいくつかあってそちらはもう少し人がいましたが…
…と前置きが長くなりましたが、実はこの長岡ニュータウンセンタービルには、2005年から2007年まで中越地震で村ごと長岡ニュータウンに避難してきた山古志村役場→長岡市に合併されて長岡市役所山古志支所がありました。
山古志村の長岡市への合併は震災のためではなく、「平成の大合併」の中で震災前から期日まで決まっていたことです。思わぬ震災で村ごと長岡ニュータウンに避難している最中に期日が到来し山古志村は長岡市の一部になりましたが、避難生活の中でこのビルは「支所」としてコミュニティの中心であり続けました。コミュニティがコミュニティであるためには「中心」が必要なのですね。
3年かけて復旧工事が進み山古志の人たちは元の村に帰っていきましたが、今でも長岡ニュータウンの人たちと山古志地区の人たちの交流は続いているようです。静まりかえったセンタービルの窓ガラスに、山古志特産品の移動販売の貼り紙が貼ってありました。

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