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健康問題だけでなく、教育問題、経済問題としても「巨大な変化」の様相を呈している「コロナ・ショック」ですが、千々に乱れる心を抑えて、この新しい事態がニュータウンの将来にどう関係してくるのか?を考えてみました。人の行き来が激しい時代、(もし今回の事態が収束できても)こういう事態が今後とも起こらない保証はどこにもないです。
ニュータウンマニアとしてのポイントは「都心と郊外の力関係がどう変わるか?」です。
いま、感染はやはり人の行き来が激しい大都市圏から広がってきたという印象ですが、この郊外でも感染確認は出始めていて、「都心ほど密集していないから郊外は比較的安全」とは言えない状態です。もう、一緒でしょう。日本のニュータウン住民の多くの生活は、母都市との通勤で成り立っています。
ニュータウンのルーツは産業革命時にイギリスで開設された田園都市であり、環境悪化に喘ぐ都心を離れよう!という郊外(suburbs)の価値もこのあたりから広がってきますが、それは「集住の否定」ではありません。あくまでも田園都市は「田園」と「都市」のベスト・ミックスであり、suburbanはsub + urbanであって、「適度な集住」のバランスを追求してきたのが、以後の流れです。
人は集まって住むことを選択した代わりに伝染病などのリスクを背負うことになりますが、ぽつん、とどこからも離れて暮らすことでは現代生活を享受できず、それももう現実的ではない時代に私たちは生きています。
しかし過度の集中によるデメリットから「田園都市」「郊外居住」「ニュータウン」というコンセプトが提案されてきたわけですが、今の時代、都心でも郊外でも伝染病のリスクは同じとすれば、「郊外に暮らすこと」の今後の可能性はどこにあるのでしょうか?
今回、大きなヒントになったのは「テレワークの試行」だと思います。あんなことできるのは大企業だけだとか、もちろん「試行」でしかないですが、混んだ電車でのリスキーな通勤を避けて、どこまでできるか試しているのではないでしょうか。それも、比較的長く。小中学校休校要請の3週間半+春休みの2週間は、オリンピックの期間より、ずっと長いです。
ここである程度の検証ができれば(人手不足の流れは変わらないですから)、もっとリモートでいいじゃん!できるじゃん!という発見もあるでしょう。(限界も見えてくると思いますが。)
ならば高い都心に住まなくても郊外でのびのび暮らして必要な時だけ都心のオフィスに通えば…という見直しが出てくるといいなと思っているのですが…(通勤輸送が減れば鉄道会社はしんどくなっちゃうわけですが…。利用時間帯が集中する輸送形態は経営資源を効率的に使えないので、一概に不利とも言い切れません。)
田園都市の時代と違うのは、「郊外完結」の職住近接ではなく、都心・郊外連携のネットワーク型の職住近接であることです。何か希望のあることを考えたいですね。
(写真は、レッチワース田園都市で職場として設置された立派な紡績工場。今は役目を終えて地域を管理する財団の拠点になっています。2013年撮影)
コメント
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2021年 6月 22日
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2021年 7月 23日トラックバック:レッチワースのゴミ集め(イギリス) | アラウンド・藤白台
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2021年 8月 13日
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