(前回からのつづき)大阪・千里ニュータウンの藤白台にも「坂」はいくらでもありますが、「藤白坂」というシンプルな名前の坂はありません。それがこちら、和歌山県海南市の藤白地区には、あります。名前はシンプルなほうが「本家感」がありますね。熊野古道に入っていく、緑に包まれた山道です。
ここは古代…西暦658年、勢力争いに巻き込まれた有間皇子(ありまのみこ)が落ち延びる途中、ここで捕らえられて殺害された地とされています。19歳。「藤白」という地名は、ここに育った松に藤がからみつき、悲運に倒れた若き有間皇子を悼んで33年に一度白い花をつけたから…という伝承があちこちのサイトに書いてありますが、その話の元はわかりません。イマジネーションの世界です。いずれにしても悲しい話です。有間皇子は今も地元の人たちに大切にされ、藤白神社の境内には有間皇子神社が1981年に建てられています。大昔から見たら、むっちゃ最近です。
歴史を想い、土地を大切にする気持ちが伝わってきますね。(2017年7月取材。つづく)
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2021年 5月 27日
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