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震災とニュータウン
- 2011/3/28
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前回に引き続き、新潟県の長岡ニュータウンにある国営越後丘陵公園から住宅地をのぞんで。このニュータウンは2004年の新潟県中越地震でアクセス路が絶たれた山古志村の人たちが3年近く避難していたのですが、その仮設住宅があったのが、中央奥の売り出しの黄色いのぼりが点々と立っている更地のあたりです(写真をクリックすると大きく見られます…仮設住宅があったころの風景はこちら)。
大きな震災が起きると、ニュータウンは仮設住宅の受け入れ場所になることがよくあります。阪神大震災の時も、芦屋浜、三田、西神、須磨などのニュータウンには仮設住宅が建設されましたし、千里ニュータウンでも新千里北町には同じ豊中市内の庄内地区で家を失った人のための仮設住宅が数年間ありました。
これはやはり、町自体が新しく道路も広く被害が軽微であること、既成密集地に比べて公共用地に余裕があること、上下水道などの基幹インフラが整備されていることなどが、仮設住宅をまとまって建設するのに好都合だからでしょう。新潟県中越地震の場合は、膨大な数の被災者がばらばらになってしまった阪神大震災の反省をいかして、山古志村の人たちをまとめて受け入れたところに特徴がありました。
僕は、芦屋浜、長岡で仮設住宅跡地に行ってみましたが、いずれものぼりが立ってて恒久住宅用に売出中…になっていました。造成もしてあってインフラも整備されている「次の住宅用」の土地は、仮設住宅を建てるのにいい場所と立地条件が一致するのでしょう。
このように見てくるとニュータウンの「強み」は、見えやすい建物だけじゃなくて地面の下…道路や上下水道やガス管や…の整備がしっかりできていることにもある、と気づかされます。まさに人の受け皿です。ニュータウンが「災害に強い町」であることは、もっと評価されていいように思えます。
…とは言いつつ今回、浦安~千葉湾岸の埋立地のニュータウンでは、液状化被害で大変なことになっている…という報道もありました。これは「阪神」のとき芦屋浜、六甲アイランド、ポートアイランドなどでも起きたことです。埋立地はやはり地盤がゆるく、水分をたっぷり含んだ高野豆腐を箸の先で押したように泥が噴き出てマンホールなどが飛び出してしまっているのを僕も見ました。いま阪神間の埋立地のニュータウンは跡がわからないほどきれいに修復されていますが、阪神の経験は千葉湾岸にも生かされるのでしょうか。そうであってほしいです。
※震災後のさなかに、トップカウンターが10万を超えました。…この「アクセス数」はいろんな数え方があるので目安でしかないですが…ご来訪ありがとうございます。これからもニュータウンを歩きます。
コメント
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コメント (7)
あの山古志村もいまは長岡市に統合されてしまいましたね。
地震が引き金になったのか。
昔、ある会社の営業をしていたとき担当のエリアが長岡市や山古志村で、地震は人事には思えませんでした。
今回の地震も新潟の人達による素早い行動、暖かい支援には頭が下がります。
それにしても公営の空き住宅や廃校舎は全国に多くあるものですね。不便な立地、家賃の高さ、それとも老朽化などの故か、子供人口の減によるものか。
前のハンドルネームが何だったか忘れましたが、去年何回か書き込みした者です。ご無沙汰しています。既出かご存知だと思いますが、明日4月2日(土)NHK「関西想い出シアター」は、「千里丘陵・昭和44年」です。朝5時15分からです。
ご無沙汰です 今日は映画の日
梅田で8日までの ニュータウンの映画があるのでこれから見に行ってきます
テアトル梅田 どんなんかなぁー
千里ニュータウンの番組がありますね。
NHK大阪放送
かんさい想い出シアター
http://www.nhk.or.jp/osaka/program/omoidetheater/
山古志村の長岡市への合併は、震災前から決まっていたことです。
「かんさい想い出シアター」で千里ニュータウンの番組やることはNHKの人から聞いていたのですが震災のばたばたでうっかり忘れるところでした。ありがとうございます。来年が「まちびらき50年」なんですが、今年は「着工50年」にあたるのです。「ニュータウン○周年」というとき、千里では「まちびらき」(住み始めたとき)から数えますが、多摩なんかは着工から数えているようです。東阪の考え方の違いがわかって面白いですね。
番組は関西限定なんでしょうね…視聴できる方法があったら教えて下さい。こちらいわきは原発事故の不安を抱えながらも何とか平穏を保っています。
先日、震災後はじめて東京に出張があり、節電のため薄暗くした街並みや、目に見えない放射能への不安を垣間見ました。昼間、新幹線の窓からパッと見ると一見普通のようなんですが、駅のホームや街頭を歩いている人がえらく少ない…仕事が長引いて帰りが晩になり、「暗い」とほんとうに気持ちが鬱々としますね。ネットを見られる環境になったら気分転換にこのブログでもご覧ください。自分が育った町への記憶がしっかりあれば、これから先への元気もわいてくるんじゃないかと願っています。