遠くの町の仲間たち…長岡ニュータウン(新潟)

秋田から日本海沿いに南下して新潟県へ…新潟と言えば雪国で米どころで…質実剛健なイメージが浮かびますが、ここは一面のチューリップ!(行ったのは5月の頭、ゴールデンウィークです。)ここは国営越後丘陵公園の一角ですが、この公園じたいが長岡ニュータウンの一部。ものすごーく大きくて気持ちがいい公園です!有料(おとな400円)。でもいっぱい人が来る…という、まあ大阪で言えば万博公園ぐらいの立派さです。国営公園って国立公園とも国定公園とも違って、人工的に造った公園。全国に16ヵ所しかありません。
長岡と言えば田中角栄元首相の地元。田中角栄と言えば「列島改造論」。東京集中ではなく「国土の均衡ある発展」をとき、その後の地方開発…高速道路や空港や新幹線やコンビナートや…そしてニュータウンや!の基調をつくった主張でしたが、地元の長岡でも人口40,000人、面積1,080ha(千里ニュータウンとほぼ同じ)の大ニュータウンが計画されました。
しかし経済はすでに低成長期に入っており、計画は途中で変更を余儀なくされ…住宅用地として計画された多くの面積を国営公園にすることになり、こんなチューリップ園もできている…ということです。初期のプランと現況を比較すると、計画した1/4ぐらいしか住宅になっていないことがわかります。逆に計画では「市民の森」と書かれた箇所がぐーんと拡大されて実際には国営公園になっています。
現在の計画では人口10,000人、面積440ha。実際に住んでいるのは3,600人。この公園の中は素晴らしく整備されていますが、まだ平たく造成しただけで何もない部分もたくさんありました。
長岡ニュータウンと言えば2004年の中越地震で山古志村の人たちが集団で避難して仮設住宅に暮らしていた…という報道を憶えている方もあると思いますが、そのように土地が余っていたため、まとまった量の仮設住宅を建てられた…ということもあったのです。山古志村の村役場も、このニュータウンのセンタービルに避難していました。避難生活中もコミュニティをばらばらにしない…ということは、阪神大震災の苦い経験から得られた教訓でした。
仮設住宅があった一角は今は分譲宅地として売り出し中でしたが、このチューリップ園からも見渡せる、ごく近い場所でした。この公園の中には山古志の人たちが「帰ろう 山古志へ」と思いを刻んだ記念碑もありました。
当初の計画からは1/10以下の人口しか入っていないニュータウンですが、がっちり整備されたインフラが家を失った人たちの安心・安全な受け皿になったこともまた事実です。阪神大震災の時も西神・三田・芦屋浜・千里など、ニュータウンの中には多くの仮設住宅が建設され「バックアップ都市」としての機能をはたしました。
今では同じ長岡市になった長岡ニュータウンと山古志地区の人たちの交流は、続いているそうです。

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