阪急北千里駅は初めて自動改札機を導入した駅であることはNHKの「プロジェクトX」にもなりましたし、地元ではかなり知られた誇りある事実です。
昨年11月、この技術が世界でも権威ある「IEEEマイルストーン」に認定され(日本で7番目!)、その銘板が改札内に取り付けられました。これまで北千里駅には初の自動改札設置駅であることを示すものがどこにもなく、駅開業40年を記念して住民有志で何かできないか…という話も出たりしたのですが、晴れて立派な「証拠」が出来ました。なんと世界最初とさえ書いてあります。スゴイ!エライ!
地元住民にとってこれが誇らしいのは、自動改札機の実用化に向けては「実際使ってみてどうか?」という実証実験が欠かせない要素であり、いわば「世界初の実験」に利用客が協力したからこそ、このシステムは世の中に定着したからです。これは単に「鉄」の趣味的な話だけじゃなく(趣味的に考察してももちろんすごく面白いのですが…)、現在のICカード(「ピタパ」や「スイカ」)や、銀行ATM、クレジットカードや電子マネーなど、世界の現代生活に欠かせない広汎な技術に発展した、まさに「マイルストーン」(記念碑的技術)なんですね。
千里ニュータウン。今からもこれからも「世界初」をやってみる、それぐらいの町であってほしいです。それでこそ「ニュー」タウン!「ニュー」の精神を忘れたら、ただの「タウン」になってしまうんですから…。
「IEEEマイルストーン」、日本で他の6つは、八木・宇田アンテナ、富士山レーダー、東海道新幹線、セイコークオーツ、シャープの電卓、ビクターのVHSビデオと、この顔ぶれを見るだけで、いかに北千里駅の初代自動改札がエポックメーキングであったかがわかります。
※さきほど夜半過ぎにA17棟で火災があり、少なくとも1戸がほぼ全焼しました。消防車がたくさん来て小学校正門前あたりが一時期騒然となりました。救急車で運ばれた人もあったようです。みなさん「火の元」にはくれぐれもご注意ください。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (10)
朝のテレビで流れていました。
お亡くなりになった方があるとか。
豊中でも同じ頃、火事で死傷者が出たようです。そちらは寝タバコが原因らしいです。
本当に、火事は怖いです。
3年ほど前近くで通りすがりに火事を見つけ、助けを求められましたがこちらの方が気が動転して、声も出ませんでした。
ものごごろついたときから、
「電車というものは自動改札を通って乗るもの」と思っていたので、成長してから東京にいったときに、鋏をカチカチいわせてる駅員さんを見ては、「北千里は進んでるぅ~」と内心喜んだものです。
でも、あの自動改札の”とうせんぼ!”の黄色い?バーは子供の時には「挟まれたらどうしよう。」と恐怖でした。
今度、この銘板見てみます。住民にとってはなんだか誇らしい気持ちですよね。
自動改札機。
子供のわたくしはそれがどれほどすごいものであるかわかりませんでした。
おそらく「おもしろいなあ」程度であったかもしれません。
みゅらさんと同じように、初期のあの「ハの字型」の黄色い腕は、背の低い子供にとりまして少々気になるものでした。
ずっと後で知りましたが、当時の技術では歩行速度の関係で全てのキップをチェックできず、サンプリング・チェック方式であったとのこと。全部を確認していなかったのですね。
火災でお亡くなりになった方に、心から哀悼を申しあげます。わが家から150mほどですが、家の中までなんとなく煙たいほどでした。ご高齢のご夫婦だったとのこと、心が痛みます。団地の火事は下層階は水を、上層階は煙をかぶるという点で、隣接の方にもお見舞い申しあげます。
自動改札機は、今はバーが垂直方向ではなく水平方向に開くようになっていますが、北千里駅導入の最初期、「切符用」の改札機は遊園地の入口のように手でターン式のハンドルを押して入る方式でした。これはすごく不便で、すぐに改造されました。1週間ぐらいだったような記憶があるのですが…?このバーは「通常開、異常時閉」と「通常閉、通行時開」の2つの設定があるのですがお気づきでしたか?
みゅらさんに同感です。
でも阪急や地下鉄のの他の駅で駅員さんが鋏をカチカチさせているのも大好きでした
中には西部劇のガンマンみたいにくるくる回している器用な駅員さんもいて憧れてました
「世界遺産」とまでは行かなくても
「産業遺産」として未来に伝わればいいなぁ
自動改札機もスゴイけど、改札係のハヤワザもスゴかったですね。結局、機械は人に追いつこうとしているだけなのかも…?首都圏で自動改札が本格普及したのは北千里よりぐっと遅れて1990年頃からですが、まさに駅員による改札の早業は「昭和遺産」と言うべき光景かもしれません。あの鳴り響くハサミの音、足元に散らばった切符のくず…。北千里駅の実験は日本中の改札風景を変えたのです。
北千里駅開業50周年おめでとうございます。記念切符セットが発売されたり、イベントが開催されたと聞きました。友人に頼んで記念切符セット買います。北千里駅と周辺もすっかり変わったんでしょうねぇ。
はい、手作り感のあるとてもいいイベントでした。土日とも大勢の人でにぎわって、町に愛されてきた駅なんだな~と実感しました!記念入場券の発行、改札内のパネル展示、記念スタンプの設置(サービスコーナーでチラシを貰うとスタンプを押すスペースがある)は15日までやっています。
私の一家が佐竹台から藤白台に転居したのが73年春、その頃の改札機はおそらく二代目に変わってたんじゃないかと。改札前のドンクのパン屋、右手の陸橋へのたもとに設置されていたヤクルトの自販機、改札を出た正面の阪急オアシスを入ったところの熱帯魚売り場・・・自宅が陸橋降りてすぐの団地だったので、駅の放送が自宅まで毎日聞こえていました。陸橋下の八百屋移動販売で、よく買い物したものです。
私の調べによれば、1973年の自動改札機は、切符用で三代目、定期券用で二代目の共通機に変わっていたようです。トイレットペーパー騒動の年、山田駅ができた年、梅田駅の移転がすべて完成して梅田駅にも自動改札機が入った年でした。