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タグ:震災
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遠くの町の仲間たち…玉浦西(宮城)
雨の中、仙台の南郊、岩沼市の津波災害からの復興移転地域、玉浦西へ。「日本で一番ニュータウン行ってます」と言いながら災害復興関連をどう扱うのか、いい加減な気持ちで扱えないし触れないのもおかしいしずっと躊躇していましたが、… -
「忘れない」「伝える」。何を?(震災20年)
自分の中の答えは、2つ。1つめは「つぎの震災で死なないための具体的なノウハウ」。2つめは「くやしさと悲しさ」。20年たっても自分の中の整理はついていません。経験談はノウハウに昇華されていないと、昔話に終わってはいけない… -
3.11から3年7ヵ月(いわきニュータウン)
ニュータウンはしばしば、震災などが起きた場合の仮設住宅の建設場所に使われます。阪神淡路のときは西神、須磨、三田、芦屋浜や千里にも、中越地震の時は長岡ニュータウンの中に仮設住宅が造られました。そして3.11では写真のいわ… -
「ご近所仲良く」こそ最強の防災
千里ニュータウンの人口の話の途中ですが、1月17日の日付でこの話を… 何度か書いていますが、18年前、僕は阪神大震災を芦屋で経験しました。建物は壊れなかったしケガもしませんでしたが、家の中の家具はすべて転倒し、あの瞬間の… -
町は何度でもよみがえる。
神戸の震災から17年。今年の1.17は3.11があってからはじめての1.17ということで、ひときわ重く感じられます。 僕は母方の実家が神戸(東灘・魚崎)で、17年前の震災では全壊しましたし、僕自身、震災のときはちょっと気… -
たとえそれが大海の一滴であっても。(石巻市中瀬)
東京や大阪からてんでに集まった急ごしらえのボランティア・ツアーグループ。地元に住み込んでいる活動団体が、「やること」を割り振ってくれました。震災から8ヵ月たっていることもあり、そのへんのしくみはしっかりできています。 3… -
海と向き合って生きる。(石巻・日和山)
石巻の中心商店街と海をへだてるようにそびえている小高い丘…日和山(ひよりやま)に連れて行ってもらいました。山頂には神社があり、市民の憩いの場になっているようです。昔は松尾芭蕉もやってきたというし、今はボランティアも休憩し… -
それでも町は生きていく。(石巻市中央)
(前回からつづく)人影が消えてしまった商店街でも、若い活動グループが残った建物の2階を直して「復興民泊」として使っているところがありました。青い線は「ここまで水が来た」ということを示す線。人の背よりも高いです。それでもこ… -
1階を失った町並み(石巻市中央)
1日ボランティアで行ってきた石巻の様子をお伝えします。石巻の中心商店街。このあたりは河口に近く、2メートルぐらいの津波に洗われました。建物自体は残っていても、1階部分をベニヤで打ち付けた建物が目立ちます。ごくまれに開いて… -
2枚の写真の間で(仙台空港再訪)
震災ボランティアと名乗るのも恥ずかしいのですが、仙台で仕事関係のセミナー+石巻で1日ボランティアというセットツアーを企画してくださる方があり、これはいい機会かも?と思い、2日間、行ってきました。 何度か書いていますが、僕…
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