タグ:まちの記憶

  • この土の色だったんだよ!

    千里中央の再開発現場。アスファルトをはがして千里の土の色が出てきました。この黄土色。上に重機が載ってたりした日にはもう…。 ナツカシー! 40年ぶりに風景が一回りして元に戻った感じ。この色!この色だったんですよ町中が。去…
  • 1970年・藤白台近隣センター

    読者のtsugioさんから藤白台近隣センターの古い写真を送っていただきました!たぶん1970年の正月だろう、とのことです。お店は閉まっていて人影がありません。閉まったシャッターには正月の朝日らしい貼り紙も見えます。親戚が…
  • 阪急電車は走り続ける。

    藤白台を望む古江公園。ここは阪急電車の線路が目の前を通り、高低差が少ないので電車観察にもってこいの場所です。昔から鉄道関係の雑誌には、この公園から撮られた写真が出ることがよくあり、「隠れた名撮影地」と言えるかも…? 阪急…
  • いきなりシモキタ

    突然ですが私が東京にいたころ暮らしていた世田谷・下北沢の町です。駅のホームの端から踏切ごしに撮った写真でゴチャゴチャしてますが…本物の下北沢は、もっとゴチャゴチャしています! この町には3つの顔があって、 1.井の頭線と…
  • 8ミリフィルムが語る光景

    千里ニュータウンのドキュメンタリー映画を撮りたいという学生さんに乞われて、友人の父上が撮った1965-70年の千里ニュータウンの8ミリフィルムを特別に上映していただきました。(8ミリビデオじゃないよ!) 写真は青山台から…
  • 佐竹台の挑戦

    同じ千里ニュータウンの中、南千里の「佐竹台(さたけだい)」。ここで始まっていた公社賃貸住宅建替の第一陣が、ようやく全容を現しました。 佐竹台は日本で最初のニュータウン、千里の中でも最初に入居が始まった町(1962年)です…
  • 目の前の人しか助けられない。

    写真は震災前の1993年、芦屋ロックガーデン・風吹岩からの風景です。「被災地」と呼ばれることになる運命を、まだ誰も知りません。 自治会でもNPOでも「まちづくり」に関わっている人に伺うと、震災をきっかけに地域の絆を深めて…
  • なぜブロック塀は危ないのか?

    震災の話題を続けます。 「ブロック塀は危ない」と言われますが、なぜでしょうか?もちろん崩れやすいからなのですが、特にブロック塀は、全体が一枚の板チョコを倒すような格好でパタンと倒れるからだ…ということが、実際に見てよくわ…
  • 決して家具が倒れる場所に寝ないでください。

    震災12年。大変おはずかしいのですが、芦屋で被災した私の部屋…震災当日午後1時半の状況をお目にかけます。だいぶん片付けたあとの写真です。 建物自体は「一部損壊」ですみましたが、部屋の中の家具類(本棚、食器戸棚)は、全部倒…
  • 未来都市の入口2

    千里ニュータウンの表札とも言うべき、町の入口の標柱。1/7の記事で千里一号線(千里南通とも千里ぎんなん通りとも…)の高野台にある標柱をご紹介しましたが、てつさんにコメントで教えていただいて千里中央線(千里中央筋とも吹田箕…

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