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カテゴリー:災害体験

  • 震災の日にまちを思う

    震災16年目の1月17日は、ちょうど西神ニュータウンでニュータウンの会合があったため、少し早く出て三宮・東遊園地の追悼記念の場所に立ち寄ってきました。 1.17の形にろうそくがともされ、毎年報道されるこの場所ですが、僕は…
  • 人はなぜ町を造ろうとするのか?

    きょう2010年1月17日は、阪神大震災から15年めの日…歳月は速いですね。15年前、芦屋で震度7を経験した僕にとって、やっぱりなかなか普通の日のようには過ごせません。 僕は千里ニュータウンを造りはじめの頃からずっと見て…
  • 災害を逃れて(潮芦屋)

    潮芦屋地区はヨットハーバーつきの豪邸だけでなく、震災で家を失った人たちが入居する公営住宅…災害復興住宅もあります。 災害復興住宅は神戸市ほか阪神大震災の被災地に数多く建設されましたが、短期間で大量かつ一定の品質の住宅を供…
  • 仮設住宅の跡地には(芦屋浜シーサイドタウン)

    超高層住区の周囲には広い空き地があり、戸建住宅の建設が進んでいました。 この一角は、阪神大震災後の数年間、家を失った人たちのための仮設住宅が立ち並んでいました(そのときの様子はこちらのサイトで見られます)。芦屋市では、都…
  • その街らしさとは

    神戸市は震災後の14年間で、人口の1/3が新しい住民に入れ替わったそうです。 これを多いと見るか少ないと見るか…震災が人口移動を後押しした面はあったにせよ、14年の長さで1/3というのは、大都市であればそんなものではない…
  • 阪神大震災の時、千里ニュータウンはどうだったのか?

    阪神大震災から14年…当時芦屋にいて震度7を経験した私にとっても忘れられない日です。 この震災で、千里一帯は「被災地」と呼ばれることはありません。しかし全く無傷であったわけでもありません。僕は「その瞬間」は芦屋にいたので…
  • あの朝も快晴だった

    (彩都レポート中でしたが)数日間書いてきた震災関連の記事も、今回でおしまいにしましょう。 今年の1月17日は快晴でした。チリチリと体を刺激するような晴れた冬の朝には、1995年の1月17日を思い出します。あのとき私は芦屋…
  • 震災は生き方を変えたか。(曽祖母の記録より)

    阪神大震災で倒壊した神戸の母の実家から出てきた写真の一枚です。「神奈川県立川崎託児所」という看板がかかっています。右後方の女性が私の曽祖母です。 以下は母から聞いた話です…関東大震災前、曽祖母は横浜で金持ち向けの幼稚園を…
  • 関東大震災の犠牲者に祈りを捧げる。(1923年9月)

    ブログの主題から少々外れてきていますが、震災経験者としては皆さんに「備え」をしていただきたいのと、防災とまちづくりはやはり繋がってきますので、あと少しおつきあいください。 阪神大震災で倒壊した神戸の母の実家から出てきた「…
  • これが山津波だ。(1938年7月・神戸六甲)

    前日の写真と同じ時に撮ったと思われる阪神大水害の記録です。山から土石流が押し寄せた、まさに「山津波」の様子がわかります。岩だらけですね。 私は小さい頃祖母にこのときの話を繰り返し聞かされ、津波には海津波と山津波があって、…

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