決して家具が倒れる場所に寝ないでください。
- 2007/1/17
- 災害体験
- まちの記憶, 震災
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震災12年。大変おはずかしいのですが、芦屋で被災した私の部屋…震災当日午後1時半の状況をお目にかけます。だいぶん片付けたあとの写真です。
建物自体は「一部損壊」ですみましたが、部屋の中の家具類(本棚、食器戸棚)は、全部倒れました。離れた場所に寝ていたので幸いにもケガ一つしませんでしたが…。キッチンの吊り戸棚は激しく開閉し、中の食器類は全部飛び出して落下しました。割れたガラスと陶器類が散乱し、家の中で靴を履いたまま何とか足の踏み場を確保して、奥の玄関の黒いビニール袋にまとめたのが見えていますね。余震でドア枠がゆがんで開かなくなることを恐れて、真冬に開けっ放しにしています。倒れた本棚も立てると余震でまた倒れるかもしれませんから、解体して部屋の隅に横たえてあります。
私が会う人ごとに言うのは「決して家具が倒れる場所に寝るな!」ということです。建物が崩れなくても、部屋の中が安全である保証はどこにもありません。地震は1日24時間のどの時間に来るかわからないのですから、自分が一番長くいる場所から安全にしていくことが確率論的にも正しいのです。…それは…寝ている場所ですよね。
「あんな大地震が来たら何をやってもムダ」と思うのは大間違いです。自分の長くいる居場所から危険を取り除いていくこと。家具の配置に工夫して、頭より高い場所に重い物を収納しないこと。背の高い家具は倒れ止めをすること…あなた自身とご家族のために、できることはたくさんあります。
(こんな状況でも、ガラスの破片と陶器の破片は一緒に捨てていいのか?とか気になるんですよね。人間はおかしなものです。)
コメント
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コメント (11)
あの時聞いた話。1.ベッドで寝てたら、あたりにものが散乱。まず靴を履いてから動きだしたそうです。2.モンゴルの人、予感がしたのか、みんな神戸から出ていなかった。
足を切ってしまうと行動がいちじるしく制約されるので、私は夏でも寝てる場所の近くにスリッパとか古くなった靴を置いとくことをオススメしてます。あとメガネ。引出しの中に入れとくと散乱しません。とっさに奥さんをかばわずに「メ、メガネメガネ」と口走ってしまい、ものすごく不興を買ったという笑えない話も聞きました。
ミンパクの当時のカンチョーは、ビデオの棚が崩れてふぃりそそいで来たので、妻を守るために、身を投げ出して守ってやったと威張っていました。奥さまからは、何のコメントもとれなかったけれど。また寝ぼけて暴れてるとおもわれたんちゃいますか。
あれから12年も経つのですね。震災後、ボランティアに参加しました。1ヶ月後ぐらい経っていたと思うのですが、それでもその光景はショックでした。特に被災地の匂いというのが今も思い出されます。
ブログ記事の最後の2行は、なるほどなあと思わされました。わが家の寝室は危険地帯。改めます。
あれから、震災具は、枕もと・1ヶ月。
その時、私は・・その一部。
娘、入院中、着のみ着のまま・・。
ホ。
田舎へ電話・・ホ。
いざ、会社へ・ダンプ50台待機の道路。
翌る日から見る大阪駅、水<ポリタンク>
数日後、JR六甲道・パット(止血に)頂く。
昨日は震災訓練に参加。
今朝は、胸騒ぎ。
ホ。
あの晩は芦屋から千里まで逃げてきて、武庫川一本渡ったらあまりの落差に愕然としました。千里は一見全く平和な夜に見えましたが、我が家でも本棚が倒れたし、被害のあったお宅もあるようです。新千里北町には豊中市南部で被災された方の仮設住宅もできました。特に関西でまちづくりに関わっておられる方には、あの日の記憶が深く刻まれていると思います。
私の知人が当時の様子を文章にしています。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/10-157/105_010.html
貴重な記録を有難うございました。胸が痛くなりましたが重要な記録ですね。夜のカラオケ、大切ですね。ああ、ふだんから人のつながりを作っておくことは最大の防災だなあといたくあの時感じたのでした。
何度も 何度も 何度も 何度も
繰り返し読みました あの日 皆が 責任感を持って 動いた
あの日だけでなく あの日から・・ 思い出しています。
私の知人の仲間たちの報告も感動しますよ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/10-157/
貴重な記録、くいいるように読みました。過去に誰かに起きたことではなく、未来に自分に起きるかもしれないこととして、受け止めたいと思います。特に人口密集度の高い首都圏の方、「阪神の記録」を読んでください!私の祖母は関東大震災を横浜で経験しており、「地震が来たら余震に備えて戸を開けておく」のは祖母が生前、体で覚えていたことでした。経験は伝えれば次の防災になります。