目の前の人しか助けられない。
- 2007/1/19
- 災害体験
- まちの記憶, 震災
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写真は震災前の1993年、芦屋ロックガーデン・風吹岩からの風景です。「被災地」と呼ばれることになる運命を、まだ誰も知りません。
自治会でもNPOでも「まちづくり」に関わっている人に伺うと、震災をきっかけに地域の絆を深めておかないといけないと感じたと、やはり関西ではそういう話をよく聞きます。このままではいけないんじゃないか、隣に住んでる人の顔と名前も知らないようでは、イザという時にマズイのではないか…「震災は価値観を変えたか?」という問いはよくあって、私自身などはヤキソバのウズラの卵を先に食べるようになったことぐらいしか思い当たらないのですが、たしかに「町への思い」をためらってる場合じゃないと多くの人に思わせた変化はあったのかもしれません。
何かあったとき、目の前の人しか助けられない。…それも本当は「目の前にいてさえ助けられない」こともたくさんあったのですが、少なくとも遠くにいては直接的には何もできない。ならば近所にいる人たちを、やっぱり大切にしないといけないのではないか?用はなくてもふだんから挨拶ぐらいはしておこうよと。
震災→ボランティア→NPOの法整備→高齢化の進行→ITネットワークの普及→団塊の大量定年→地域へのリターン…という流れが、たしかにこの12年間あったのだと思います。1995年、私は年男の36歳で、今年また年男で、次の年男では還暦になっちゃうじゃないか!どーするよ?「ひとまわり」は人生において十分長い。でもそれだけ、人々の意識も着実に「進化」したのだと、この12年間をふりかえって思います。
2007年の今も、風吹岩から見下ろす景色は何も変わらないように見えるのでしょうね。
コメント
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コメント (3)
ヤキソバとウズラ卵との関係が、なかなかわかりませんでした、ソースヤキソバのことしか浮かばなくて。。。すみません、まじめな話の時に・・・
そういえば、「そばめし」という実に不思議な食べ物を知ったのは、震災後だったかな。
文化ボランテイアが、見直されたのも確か神戸がポイントになりましたね。行政だけに頼っちゃいられない。身体的危機は仕方がないけど(食糧など、一時期をすぎればけっこうしのげる)、人間関係(行政はうまく扱えない、個人個人の問題だから)がもっと重要なんだと。博物館でボランテイアしてると、つくづく、そう思います。日本に初めて個人主義が定着し始めたのだとおもいます。
「楽しみを得ることに関して、少々セッカチになった」という意味だったのですが…ウズラの卵をキープしてヤキソバを食ってる間にも地震が来るかもしれない…というのもおかしな強迫観念ですが。もっと大きなところで人生の時間を惜しめばよさそうなものですね。「人間の器を超えて人間は変われない」ということでしょうか。