山を削り、谷を埋め…千里ニュータウンはできたことになっていますが、決して「まったいら」に造成したわけではありません。むしろ、かなり高低差は残したままになっていると言ったほうがいいでしょう。写真の藤白台三丁目の斜面はかなり大きなものですが、どの住区でも丘の頂を公園にし、道のつけ方も元の谷筋を生かしたためかなりカーブが入っています。
そうした理由は、そのほうが速く、安価に町を造ることができたからです。高度成長期の大阪府はどんどん増える人口に、住宅開発を急いでいました。
ところが詳しい方によると、同じ千里でも後半に造成された豊中市側、竹見台、桃山台は、前半の6住区より大胆に地形を均しているというのです。これは元の地形がそうだったのではない…とのこと。造成途中で方針が変わったのか?わかりませんが、千里ニュータウンは途中で一度完成予定を1966年から1970年に延期していること。後半の住区ほど(一世帯あたりの人数が計画よりも少ないことがわかってきて)「15万人」を達成するために集合住宅率を増やしたうえ高層化しなくてはならなくなり、地形を均す必要が生じたためではないか…?と僕は推測しています。
ところが昨年、もっと新しい多摩ニュータウンで、また面白い話を聞きました。多摩ニュータウンでは、1970年代~80年代に造成した多摩市域では徹底した造成を行っているのに、1990年代から開発が進んだ八王子市側では、自然保護の観点から高低差をより残している…というのです。
つまり千里の初期に戻っているわけ(理由は違いますが)。地形は世につれ…というのも人工都市ならではの特色のようです。
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