ニュータウン住民の終着地点
- 2007/8/15
- 千里ニュータウン, 周辺地域
- まちあるき
- 6 comments
こちらは藤白台から北へクルマで30分、箕面山系の山奥にある広大な北摂霊園です。
この霊園はニュータウンと同じく大阪府千里センター(現・タウン管理財団)によって1973年から整備され、今なおこつこつと広げられています。ニュータウンに住んでいなくても入ることはでき、半分は大阪市内などから来られているようですが、開発の目的はニュータウン住民の行き場所を作るためでした(うちのお墓もここにあります)。
写真の区画は芝生墓地ですが、和風の区画もあります。広いオープンスペースと豊かな緑に囲まれて規則正しく墓石が並ぶさまは、まさに「冥界のニュータウン」ですね。死んでもニュータウン!うれしいような、せつないような…
ときおり言われることですが、千里ニュータウンは、墓地、ゴミ処理場、下水処理場といった「町には必要だけど近くに置くと住民が歓迎しない施設」をニュータウン内に置かなかったため、自分勝手な「床の間とお座敷だけの町」だとする「ニュータウンお座敷論」があります。千里ニュータウンだけを独立した自治体=千里市としてはどうか…というアイデアに対しても、この「都市としての不完全さ」を指摘する人がいます(多摩NTでも同様の問題があり、この3つに場外馬券売り場を加えた4つを、構成する4つの市に割り振ったという話を聞きました)。
クルマで家から30分…は当世お墓参り事情を考えたら「いいほう」だとは思うのですが、すっごい山道を行かねばならず…自分がお墓に直行しないように運転はヒヤヒヤもの…。
一方で、この霊園経営は千里センターにとって貴重な収入源であり続けたという側面もあり…亡くなった人の蓄積数は決して減りませんから…千里はいま超高齢化しつつあるわけですが、高齢化社会はつまり大量の死と向き合わねばならない社会ですから…「お墓問題」の大切さはこれからも増すでしょう。
千里ニュータウンは大阪府の公的資金で開発された関係からお寺や神社など「宗教施設」が例外的にしかないという事情もあり、かつお墓も隣接して造らなかったことは「死生観」を決定的に欠いているのではないか、と厳しいことを言う人もいます。
実際には、住宅に使える場所は少しでも住宅に回したい…という高度成長期の「人口圧力」がこのような形になったのでしょうし、山奥だけれどクルマで30分の場所に大きな霊園を用意したことは、現実的な解決策であったとは思います。しかも住宅には不向きな山林をお墓にして売ればここでも儲かると…
お盆なのに娑婆くさい話になってしまいました。空気のいい日は遠く神戸の海まで見えますよ!(でも山道の運転は苦手なんですよね…)郷里の菩提寺からここにお墓を移したニュータウン住民も多く、「ここで生きて、ここで死ぬ」というある種の決意を、この墓石の列は語っています。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (6)
1965年藤白台3丁目の公社住宅に入居、子供の誕生から約30年間、何度か転居したとはいえ、ずっと千里ニュータウンで生活を送った者としては、なんとも懐かしい記事に出会った。
勤務の都合でそのまま東京に住み着いてしまったとはいえ、友人や知り合いの多くが住む大阪、とりわけ千里ニュータウンは自分にとっての心の故郷だ。
お盆は帰省されない人も、心が帰省するのでしょうか…。初めての方からのコメント、うれしいです。千里ニュータウンも昔は「お盆には人が減る」町だったと思いますが、いつのまにか「帰ってくる人がいる」町になったのですね。
芝生墓地の写真拝見しました。私の友人も、あの地に眠って15年になります。久しくお参りしない間に随分墓石が増えていますが、遠景は同じで安息の地なのですね。
実はうちもまだお墓参りに行ってないのです。お盆は道が混みますので…。眠っている人たちも「千の風になって」多少のぐうたらは大目に見てくれると思っています。いや…「千里の風になって」かな…
ニュータウンに住む人は故郷から離れ、また転々と引越しする中で、いわゆるnomadになりがちなのが韓国の事情だと思っていました。韓国と日本は少し文化が違うと思って、死、祖先、故郷などに対するニュータウン人の姿勢はどう違うかなについて考えてみたいですね。この写真を見たら、韓国のニュータウンはどうなっているんだろうと思うようになりました。
日本のニュータウン計画は政治の保革が伯仲した「住宅政策の55年体制」の中でスタートし、持ち家政策と公的賃貸住宅の大量供給の合わせ技で建設されました(新しいニュータウンほど持ち家政策に寄った設計に変わっていきます)。ですから定住性と流動性の両方の側面があったわけですが、実際には賃貸でも住み心地がよくて予想ほど引っ越さず(かつ持ち家でも子世代は出ていく傾向が強くて)「親は残って子供が出ていく」図式のなかで高齢化が進んだわけです。お墓に対する考え方は家族観の延長にあって、ニュータウンに来た多くの人は故郷の「先祖代々の墓」から独立して近くに墓をつくり、お墓も核家族化したと言えます。いまではさらに個人にベースをおく自然葬も人気のようですが、これは生前の社会で核家族さえも分解しつつあることの反映ではないでしょうか。