きょう日曜日は千里山で団地見学ツアーと団地萌えの皆さんによるトークセッション「ダンパクF」があり、行ってきました。
千里ニュータウンの先輩であるUR(公団)千里山団地、いよいよ来年から建替のため解体に入るのです。この数年、「団地萌え」が静かな…どころじゃない?ブームの様相ですが、人数限定の団地見学ツアーに混ざってみたら…皆、若い!こりゃへたするとツアー最高齢は自分かも…?と思いつつ、若い人たちがこんな熱心に団地に向き合ってるってなんだろう?と思いました。
でも考えてみたら、少なくとも1960年代までは「団地族」って、時代の先端の憧れの的だったのです。「遠い・狭い・高い」だの、画一的で犯罪の温床になるだの、評判がぱっとしなくなったのは1970年代後半以降…日本全体が「豊か」というか、だんだんハデになって歯車が狂っていったのと同じ時期だったような気がします。
…ということは、時代背景がまた1950-60年代に戻ってるんじゃないか?若い世代の嗅覚ってばかにならなくて、しがらみに縛られてないからいつも素直な選択をしていると思うからです。それは「簡素でも合理的」という思想、「共同体への信頼」って言ったらいいのでしょうか。2009年、日本では住宅はとっくに足りてる計算になってるわけですが、一方で派遣切りに遭って家もなくなる…なんて人たちが出るのは絶対おかしいし、1955年に住宅公団をつくって住宅500万戸を建設すると宣言したのはくしくも鳩山(一郎)内閣でした。…今の総理のおじいさんです!
たのもしい?団地萌えの皆さんにまじってニュータウンのことを考えていたわけですが、「団地」と「ニュータウン」って同じじゃないんだけど、「簡素でも合理的」「共同体への信頼」っていう同じ線上にやはり乗っているのではないか?もとは「一団の土地」の略だった「団地」のスケール、コンセプトをさらに広げて複合的な町にしたのが「ニュータウン」でしょう。日本のニュータウンを歩くニュータウンマニアもがんばらなくっちゃと思った良き一日でした。(「団地」「ニュータウン」「集合住宅」の定義の違いは長くなるのでまたこんど…)
千里ニュータウンの中に、団地はいっぱいあるけど給水塔はないっていうのも発見!自分の町でも見落としてること、いっぱいあります。(こちらにも別バージョンのレポートがあります。)
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