新千里東町三丁目の交差点。北千里から千里中央へ向かう幹線道路はこの交差点で吹田市から豊中市に入りますが、吹田市側には…(上)

ところが同じ通りが豊中市に入ると…(下)

ネーミングの連携も何もなく、吹田市域はいかにも「愛称」という感じの標識板が立ち、豊中市域はいかにも機能的な名前の標識が立っています。
この通り、千里ニュータウン建設当初は「千里3号線」というひとつの名前だったのです。北千里駅前の交差点から新千里西町の南端、中央環状線につきあたるまで。実際の市民生活でも、この通りは北千里と千里中央を結ぶニュータウン北部の東西の幹線道路として、一体的に機能してきたし今も機能しています。
千里ニュータウンは大阪府が建設したので、こういった通りや公園の名前は開発当初、大阪府が命名しました。実は「千里3号線」じゃあまりにも素っ気ないと大阪府自身も考えたのか、万博を控えた1969年に、大阪府自身が「千里北通」という名前を付け直しました。東西に走る「千里1号線」「千里3号線」「千里4号線」は「千里南通」「千里北通」「千里山手通」に、南北に走る「千里2号線」「千里中央線」は「千里東筋」「千里中央筋」にと、大阪市内の「東西は通、南北は筋」というルールを持ち込んで、完成が近づいた千里ニュータウンのお化粧仕上げをしようと考えたのでしょう。
ところが初期の数年間で最初のナンバーネーミングは定着していて、とくに新しい名前の標識も立てなかったためこれはあまり定着せず、なんだかアイマイな状態になってしまいました。そして時代が下がり、まず豊中市が市内の通りの名前を整理した際にまた新しい名前をつけてしまい、吹田市は吹田市で2001年に市内の主な通りの「愛称」を公募して標識を立て、ニュータウン内では生活圏はひとつなのに、こういうことになってしまったわけです。(「三色彩道(さんしきさいどう)」は藤白台部分が有名ですが、この交差点から阪大前のつきあたりまで全部がその名前で括られています。)
ちなみに警察は警察で別のネーミングをしているようで、府道部分には「府道○○○号線」という呼び方もあり、もうなんだかわけがわかりません。多重行政の最たるものと言えるでしょう。僕は「千里3号線」でいいですよ。

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