千里ニュータウンの「理想人口」は?-4
- 2013/5/7
- ニュータウン内, 千里ニュータウン
- まちづくり
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(前回からつづく)
日本の人口は2005年から減り始め「人口減少時代」に突入しました。その減り方は有史以来世界が経験したことがないほど急激なものになることが予測されています。そのような中で、都市郊外の「ニュータウン」は、どうなっていくのでしょうか?
「関西の経済は停滞していて、本社の東京流出と生産現場の海外流出は止まらない」「千里ニュータウンの立地の良さは変わらない」「関西でも人口の都心回帰が起きている」「千里ニュータウンは便利だから、もっと遠い郊外からの人口を吸い寄せるかもしれない」…千里に関してはプラスの要因とマイナスの要因が両方あげられます。
千里ニュータウンでは1975年からつい最近まで人口は減り続けてきた経験があるわけですが、では「人口が減るとどんなまずいことがあるのか?(あったのか?)」を考えてみます。
まず、町に活気がなくなります。人口密度が下がるわけですから、何をやっても人が集まりません。しょぼいパーティーみたいなものです。盆踊りも、体育祭も…。内容に関係なく、人が寄ってきにくくなります。
…いやそれは、むしろ静かで落ち着いた町になっていいのでは?という考えもあるかもわかりません。では学校はどうなるでしょう?…これはすでに千里ニュータウンの多くの小学校で経験していることですが、たとえば「全校児童170名、全学年1クラス」みたいなこと(実例です)。こうなると6年間組替えができません。サッカーや野球のようなメジャーなスポーツでも、2チーム作って対戦をすることが難しくなり、クラブ活動が困難になります。藤白台小学校では「上山田」から来る児童が全校の約半分いるのでこれほど極端な減り方はしていませんが、それでも今年の1年生は79名、やっとなんとか3クラス組める人数です。つまり上山田を除いた藤白台だけでは1クラス半しかいないということです。かつてはパンク寸前だった藤白台小学校も、いつのまにかそういうことになっています。
少人数教育は目が届いていいこともある…それもたしかです。しかしたとえばあまりに少ない児童数が続いてしまうと、学校統廃合という話が出てきます。これは全国のニュータウンで実際に起きていることです。いまや自治体はどこも財政にゆとりがありませんから。学校が統廃合されると、通学距離が長くなり、毎日の安全が下がります。時間もかかるようになりますね。送迎しようとすれば親に負担が来ます。何より多くの地域で小学校区は「地域のまとまりの単位」になっているので(たとえば連合自治会とか)、それが大括りになるということは、子供だけの問題ではありません。
お店も成り立ちにくくなります。お店というものは来やすい範囲(商圏)に一定以上の見込み客がいないと繁盛しません。これが成り立たなくなると、学校と同じで遠くの店まで行かなくてはいけなくなります。クルマを使える人はいいですが、歩いて通っているお年寄りなどは、毎日の買物にも不便をすることになります。いわゆる「買物難民」です。
お医者さんなどにも同様のことが言え、人口の減った町では徒歩圏内で万事生活が成り立ちにくくなっていきます。頼みのバスだって、お客さんが減れば便数を減らしたり、ひどくすると路線廃止にするかもしれません。…いったんこうなると(社会はますます高齢化が進むわけですから)こんな暮らしにくい町にはいられない…ということになり、転出が進んでますます人口が減る「悪循環」に陥ってしまいます。
廃校や買物難民や廃線や…そんなことは田舎の話だと思っていると、それはもう、都市近郊に迫っている話なのです。
ここで町には「決断」が求められます。その流れを受け入れて「縮小均衡」路線を歩むか、人気があるなら新しい住民を外から呼び込むか。…この選択ができるのは「もっと住みたい人がいる」エリアだけで、そうでない場所は前者を選ぶしかありません。しかし千里は関西では阪神間に次ぐ人気エリアです。「京阪神の真ん中にあり都心まで20-30分」「新幹線も空港も13分で行ける」という抜群の立地の良さは、時代が変わっても変わりません。いわゆる「国土軸」に乗っているニュータウンということで、千里は日本のニュータウンの中でも一番「都会にある」ニュータウンなのです。
では、その「弱点」は何でしょうか?
つづきは、次回!
(写真は建替前、2001年の藤白台近隣センター)
コメント
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コメント (16)
千里は環境はいいんですが、一言でいうと、「退屈な街」なんです。便利の良さだけで言えば、千里から北摂の阪急・JR両方使える場所に引っ越した私から言えば、千里以上に便利です。おまけに千里より家賃が1割か1割5分安です。(千里で月10万円する物件が私の住む周辺では月9万円前後です)
はっきり言って、環境以外に若者を引き付ける要素はないと思います。
近所の商店街も平日にも関わらず、人はそこそこいますし、百貨店も千里阪急とは違い、結構、客はいるほうです。
千里は、駅周辺しか出店できないのが難点なんでしょうね。おまけに出店コスト(家賃)が高い。
循環器病センターが千里丘に市民病院とともに移転すると、千里の魅力が一つ減るような気もします。私とすれば、医療技術の高い両病院がJRで行きやすくはなりますが・・・。
ブルーさんの言われることも、昔から言われていることですね。たとえば住宅街の中の小さなお店。法律的には小さなものなら作れるのですが、住民が許さない。駅前の魅力も、まあなんというか、弱いです。千里中央でやっとなんとか…。千里阪急は外商で稼いでいるようですが。昔から同じこと言われているのに状況は変わりません。団地更新が進めば活気が出ることを期待していますが…。緑の多さという環境だけは、誰もが認めるところでしょう。とくにこの季節はね。ちなみに循環器病センターの移転先として検討されているのは岸辺駅前または箕面船場です。
転勤で藤白台を離れて2年が経ちました。
(藤白台の自宅は戻るつもりで残してます。)
今は地方の県庁所在地に住んでいますが、アウェイ感に浸りながら生活しています。
NTに10年以上住んでしまうと、自然に利便性よりも環境を求めるように思考が変化しているようです。
循環器の移転問題も決着していないようですが、当事者は現地建替えを望んでおられるようにも思えます。
地元(藤白台・青山台)が協力姿勢を表明して欲しいと思っています。
NT内の厳しい出店規制も時代の流れとともに緩和されると、もっと住みやすい環境になり若年層も増加すると思います。
千里の商業施設に関しては、梅田の都市型と箕面などの郊外型に挟まれて、どっちつかずなのが苦しいのかも。地元の商店街といっても、渋滞も少ないので車でどこでも行ってしまう人が多いですから。まあ、色んな所に住みましたが、千里は暮らしやすいです。
今となっては、シネコンは、ニュータウン内に欲しかった。
一度離れると、ニュータウンの良さ、弱さ、もっとよくわかるんですよね。僕も大学で一度外に出たのはプラスだったと思っています。千里の中の商業施設の苦戦はいろいろ聞きますが、あちこちのニュータウンに行って思うのは「鉄道駅に隣接している」のは、本来絶対的に強いということです。その条件は簡単に変わらないですから。にもかかわらずパッとしないとしたら、よっぽどさぼっているということでしょう。クルマでしか行けないところは、もっと大きな施設が同じ商圏内にできるとあっという間に客を取られ、投資が大きいだけにえらいことになってしまいます。つまり安定性がないのです。ニュータウンを設計したK先生が「クルマ社会は予測して、それでも歩いて暮らせるように設計したが、流通革命は予測できなかった!」とおっしゃっていました。ましてネット社会が進めば…どうなっていくんでしょうか?宅配サービスはずいぶん浸透してきているようですが、全部宅配ってわけにもいかないでしょう。
まさに同じ商圏内の競争に押されているかな、、という感じです。ちょっと疑問に思ったのは、千里中央や南・北千里の商業施設の所有権ってどうなっているのですか?たとえばセルシーやディオスの。
近隣センターは、店主が持っているんですよね?いずれセルシーなどは建て替えられるかも知れませんが、所有権が複雑だと難しいのでしょうか?
あと、ここに住んであれ?っと思ったのは、阪大の影の薄さ(笑)。学生相手の下宿、飲食店などがほとんど発達していませんよね。豊中キャンパスはもう少し多いのかな?? 奥居武さんは、学生街で有名な所に居たわけで、どう思います?私は、学生時代は京都市内でしたが、学生には本当に良い街でした。住宅街ばかりというのも、面白みが少ないような(笑)府営団地の一部を売るなら、学生向けの下宿を誘致すれば面白かったかも。
駅前の商業施設の所有権は、これがまたヤヤコシイのですよ。北と南と中央、全部形態が違うみたいです。近隣センターと違って賃貸ではあるようですがやる気のない店が粘れる仕組みになっているようだし、ニュータウン的特徴として所有が違うさまざまな建物の構造が一体化していて、個別に再開発できないのです。北千里でいうと線路の下は阪急、道路部分と公民館の土地は市、ディオスはだいたい府で、その中に浮島のように元からの地権者の土地が2ヵ所あるということらしいです。
北千里は(優秀な?)学生がいっぱい通るのにそれを生かせてない…ということはかねがね嘆かわしいと思っていて、前に一度書いています。
http://senri-g1964.at.webry.info/200701/article_28.html
ほんとにニュータウンの中に学生がもっと住めるようにすべきだと思います。面白くしないと住んでもらえないですが。僕は学生時代~就職したころ東横や井の頭沿線をウロウロしてましたが、いい住宅街と学生の町が混ざってるのはお互いに面白かったと思います。教育上も学生が実社会と交わらない場所で勉強してるのはアカンやろうと思いますね。千里があんまり排他的なことやってると、大学もいつか都心に逃げ帰ってしまうのではと心配しています。
うーん、千里は自治体が持っている土地がおおいんですね(びっくり)。UR も公的な団体とすれば、相当な面積です。北千里小の跡地も建物がある側はともかく、グラウンドをそのまま置いておけるのは、固定資産税を払わなくてすむからか!
どんどん売って、りんくうタウンの借金返せばいいし、雑然とした区画があってもいいと思いますが、少数派かな?
学生街の話は出ていたのですね。
公的セクターによる土地所有の多さは、千里ニュータウンだけでなく多くのニュータウンの特徴だろうと思います。それで不動産価格が柔軟に動かないのかなあ。ちなみにりんくうは府の問題ですが、北小跡地は市の問題ですね。府も市もどちらも本当にどれぐらい「財政が苦しい」のかわからないし、理念もタウンデザインもなく切り売りするのは危なっかしくて賛成できないですが、「絶対売るな」だけでもどうにもならないだろうなとは思います。
バスの便数がまた減ることになりました。8月22日から。
http://bus.hankyu.co.jp/whats_new/130815_4.pdf
新しいダイヤでは平日朝夕の便数がデータイムと全く同じ「ずん胴ダイヤ」になり、「ラッシュ時」というものがダイヤ上から消滅しました。昔のダイヤはもっとグラマーでした。
http://bus.hankyu.co.jp/rosen/jikoku_img/079401_1.pdf
それだけお客さんが乗ってないってことなのか…。団地建替が進んで若い通勤客が増えることを願いたいです。
久々の書き込みです。
バスは日中の高齢者の利用が多く、
車内の転倒防止も根付き、
乗り降りにかなり時間がかかっていますね。
北千里近辺だけではなく
千里中央までの停留所があるわけですから
ラッシュ時の利用が減ったとは思わないのですが
消滅は理解に苦しみます。
それと、学生が多いのに、北千里ではお茶しないか、もしくはできない街ですよね。
地元の住民の利用のほうが多いように思います。
いえ、昔は藤白台回り古江台回りあわせて1時間に5本(12分に1本)あってラッシュ時はもっと多かったのですが、今は1時間に4本(15分に1本)でラッシュ時も同じです。車両も小型化されています。昔の記録映画や写真を見ると、車内もバス停ももっと混んでいたので、お客さんが減っていることはたしかでしょう。ただ今回の減便は乗務員不足で過重労働解消のため…という噂もあり、たしかな原因はわかりません。北千里は学生が多いのに素通りするだけ…になっているのはもったいないですね。若い人向けの店を作ってもはやらないようです。VIVREがSATYになってしまったのがいい例です。住んでないからなあ。
「千里ニュータウンと路線バスの変遷」というのも調査研究ネタとしてありそう。路線がどう変化したかとか、車両・運賃のうつりかわり、乗客数の推移、停留所今昔・・・
路線バスはニュータウンにとって重要な存在で、ほんとに一度きちんと調べておきたいです。大きく言うと千里ニュータウンの中は昔より減便され、周辺との路線は拡充されてるんですよね。いまでは千里中央から北千里を通って箕面市に向かう路線は多数ありますが、そんな路線昔は一本もありませんでした。どの扉から乗ってどの扉から降りるかのルールも、何度も変わっています。
私が覚えている記憶は、1973年当時バス初乗り大人40円・小人20円だったのが、オイルショック後に大人60円・小人30円に大幅値上げされた時です。50%アップは大きかったですね。
青が斜めに入った塗装から、横基調の(今に通じる)塗装に変わり始めたのもこの頃です。阪急バスは昔から三菱ふそう車でしたねぇ。もうすでにワンマン化がかなり進んでいましたが、一部まだ旧型も残ってました。
1964年には大人20円・小人10円だったんですから、そこから万博あたりまでの上昇も激しかったことになります。大人30円の時代もあったかな。