千里でお世話になった人が、亡くなった。山の事故で。67歳。まだ全然若いというべきだろう。知り合ったのは2006年だと思うから、ほぼ11年のおつきあいだった。最初に会ったのはたしか阪大での研究発表会で、その方は50代なかばでまちづくりコンサルの会社を辞めて、阪大の院に行き直して、その研究論文の発表の場だったと思う。僕は地元住民の立場で、何か目立ったコメントを言ったんだと思う。初対面なのに「わあ!突然ライバル出現ですね~」と快活に返されたので、ちょっとびっくりした。初対面で、その人は論文発表者で、僕はどうってことないコメントを言っただけなのに、ライバルなんて。とてもさわやかな印象だったが、この人は「知」を武器に生きてきたんだなと、その時思った。

それから僕が千里のあれこれに関わるようになって、ずいぶんと接点ができた。その人はやはり「地域に立脚した研究者」で、僕は「やや研究にも首をつっこんだ地元住民=ニュータウンマニア」で、スタンスはずっとずれていたけど、重なる部分が多かったと思う。その人が若い頃に仕事でまとめた「全国大規模ニュータウンリスト」をいただくことになり、それを見て僕は「これ全部行ってみよう!」と思い立ったのだ(渡したほうも、まさかそんなスイッチを入れることになるとは想像もしていなかっただろうが…)。だからここ10年の僕の人生の基本線を決めたような「影響」をくれた人ということになる。

同じ住民ネットワークの代表も、2人でつづけてやった。僕が先にやって、その人にバトンを渡した。年齢から言えば逆順になったのだが、僕がなった時は「若返り」がテーマで、僕が住民第二世代として代表をやって、実務面を支えていただいた。僕が制限いっぱいの3年やって次を決めるとき、「僕はそんな器じゃない。3回生まれ変わってもそんなことはしない!」と固辞しまくっていたのを、僕が梅棹さんの「人には舞を舞わなくてはならない時がある」という言葉を持ち出して口説いたのだ。後輩が先輩を口説くのは、難しい。梅棹さん(民族学博物館初代館長の梅棹忠夫さんです)は「開発後」の千里地域のリーダーで、住宅都市として開発された千里ニュータウンを、万博跡地と、その換地の関係で計画された彩都まで含んだ「グレーター千里」として飛躍させる構想の理論的支柱だった。千里地域の立地の良さを見込んで「京阪神は京阪神千になる!」とまで謳った気宇壮大なものだった。その水面下の議論にコンサルの若手として立ち会っていたのがその人だったから、梅棹さんのセリフには弱いだろう…とふんだのが、あたった。

いろんなことを一緒にやった。ニュータウンまちびらき50年もやった。ニュータウンの小学生にまちのしくみをわからせるパンフレットも作った。イギリスの田園都市や北海道のニュータウンも見に行った。まちびらき50年で生まれた9万本のキャンドルイベント「千里キャンドルロード」を毎年開催にしたいという話がもちあがって、開催主体をどうするか、オモテからウラからいろいろやった。まちあるきなんか、何回やっただろう。半世紀以上知ってる千里ニュータウンでも、意外と自分の生活動線以外のことは知らない。そういう場所をくまなく歩く機会をくださった。

実はその頃、その人はいろいろと大変な時期だった。やや珍しい癌が発見されて、何度も検査と入院・手術を繰り返した。娘さんの一人に先に亡くなられるという不幸もあった。奥様は、僕が知り合う前に、癌で亡くされている。会社を辞めるにあたっても、いろいろあったようだ。普通の人なら、そのどれか一つだけでも精神的につぶれてしまうのに十分だろう。しかしいつのまにか、快活な顔で戻ってきた。こちらも「こんな大変な時にこんなことお願いしていいのだろうか…」と迷いながら、手を放すと意識が「向こう側」に行ってしまいそうで、こっち側に引き留めておきたくて、ごちゃごちゃ雑事をお願いしていた。

いつのまにか先輩ということを忘れて、いろいろなことをお願いしてきた。自分からどんどん前に出るタイプではなかったが、静かで的確で、「受けの名手」で、どんなことでも「人」と「人」として受け止めてくださるおおらかさに、ずいぶん甘えさせてもらった。でもまだまだ、頼りたいことはいっぱいあったんですよ…。

山への「のめり込み」が激しくなって、クマにも何度か遭遇したと言っていたから、いつかがぶりとやられるんじゃないかと思っていたが、いざ(クマではなかったが)急に亡くなってしまうと、「覚悟していた」とはとても言えない。山男は山で死んだら、あかんでしょ。急なことで通夜もなく、おわかれのときに対面した顔は滑落の傷跡がいたいたしかったが、そんなことも「不良中年」の(中年ということにしときます)勲章に見えて、ずるいと思った。

この盆休みはそういう事件があって、気持ちの整理がつかないまま終わっていきそうだ。人はいつ別れが来るか、わからない。「棺の蓋をおおって事定まる」というけれど、やはり死んだ人は「絶対的に強者」で、いいことだけが残ってどんどん「いい人」になっていく。生きている人間はどんなに格好悪くても、日々のすべてをあたふたと続けていかなくてはならない。

阪神の震災を経験したせいか、もともとにぶいのか、僕はこういう時に、泣けない。冷静なようでいて、いつもあとでじわじわ効いてくる…それが厄介だ。これからどうしたら、いいんでしょうね?答えるのは蝉の声しかない。

この投稿は2017年8月15日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。

画像は千里市民フォーラムのサイトからお借りしました。

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