「どの駅からも遠い大型店」という立地

北千里から阪急吹田まで歩く道すがら、「できるだけ線路に沿って行こう」ということにしたのですが、一番それが無理だったのは南千里~千里山の間です。

うろうろとジグザグする間、5月末で閉めたばかりの「イオン南千里店」を見てみようということになりました。この一帯は「豊中岸部線」という都市計画道路が東西に貫く予定になっていますが、この店舗の建物は、直接道路予定地になっているわけではないようです(駐車場の一部がかかっています)。

この店が「ジャスコ南千里店」として開店したのは1988年前後のようです(「33年間のご愛顧」と貼紙にあったので)。1949年から1964年までは「吹田市立第一中学校」の敷地でもありました。それにさきがけ1940年から1949年までは、旧制の私立千里山中学校があり、新学制で1949年吹田市立千里山高校に。わずか1年後の1950年には大阪府立吹田高校になり、高校は1951年に現在地に移転…と、めまぐるしく変転しています。1949年から1951年までは、中学校と高校が併設されていました。旧制から新制への過渡期ですね。ニュータウンの入居が始まっていた1964年に吹田市立第一中学校も現在地に移転され(工事車両がたくさん目の前を通って大変だったでしょう…)、その24年後にジャスコになったことになります。

この場所は南千里、千里山、桃山台、緑地公園どの駅からも遠く、千里ニュータウンでもなく旧市街地の中心でもなく、広い道路はわりと最近まで南千里(北側)にしか通じていなかった…というエアポケットのような場所なんですが、なぜかよく「使い倒されてきた」敷地だと言えるでしょう。

千里ニュータウンの計画論から言えば「日常の買物は住区内の近隣センターに」「そこで賄えない買物は駅前の地区センターに」誘導するという理論を崩す存在でしたが(南センターとは客を取り合ったのではないでしょうか)、「クルマで週末にまとめ買いする」スタイルが定着した時期以降だったから成り立った立地だったのでしょうね。

「豊中岸部線」の整備がいつになるのか、これもまたさっぱりわかりませんが、これがつながれば千里線東側の佐井寺や岸部地区からのアクセスが飛躍的に良くなります。

イオン跡、開発会社が買ったようですがどうなるのでしょうか?(上階のエディオンは、いったん閉めて今年の冬に再オープンするようです。)どこもかしこも開発…になっていくのはどんなものかな?とも思うのですが(ニュータウン育ちがこれを言うのは矛盾もあるのは承知していますが)、やるならちゃんとやってほしいとも思います。

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コメント

    • Tek
    • 2021年 8月 03日

    泉北ニュータウンでもニュータウンのちょっと外の幹線道路沿いのスーパーばかりがはやって、
    センターのスーパーが続々廃止になってます。

      • 奥居武
      • 2021年 8月 03日

      センターのスーパーが撤退し、周辺部の店は流行るというのは、権利関係がややこしいとか、賃料が固定的に高く設定されているとか、建物がとにかく古いとか、いろいろな理由があるでしょうね。買物するほうはクルマで行くのであれば、どこにあってもいいわけです。ただ「歩いてしか行けない」人は困りますね。

  1. 2021年 6月 05日

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