ニュータウン・ブックチャレンジ(6/7)…箱の産業

「ニュータウン・ブックチャレンジ」6日目は『箱の産業』(2013年 彰国社、松村秀一ほか著)。ニュータウンといえば団地(=集合住宅)のイメージが強いですが、もう一方の立役者は「プレハブ住宅」です。この本は副題に「プレハブ住宅技術者たちの証言」とあるとおり、黎明期のプレハブメーカー各社の関係者に綿密な聞き取りを行った貴重な証言集。表紙の写真は千里ニュータウン(1963年)とあります!一面のプレハブ畑。高野台じゃないかな。

プレハブ住宅の開発がなければ、ニュータウンはここまで大きくなることはできなかったでしょう。在来工法で一軒一軒建てていたら、とてもじゃないけど職人が足りません。またプレハブ住宅も、ニュータウンという大きな実験の場を得て、急成長が可能になりました。まさに「持ちつ持たれつ」。そして実験台になったのは…初期の住民でした。

そんなわが家も、最初に父が建てたのは積水ハウスのB型と呼ばれるプレハブハウスでした。父の勤務先は、積水化学。今住んでいる2代目の家は、セキスイハイムのM3タイプ。プレハブ人生です。積水化学、積水ハウス、セキスイハイムの関係を整理しておくと、最初からあった化成品(プラスチック)の総合メーカーが、積水化学。化学が最初に始めた住宅事業が積水ハウスで、ハウスは化学から独立し、子会社の好調ぶりに親会社も「より徹底したプレハブ工法=ユニット工法」で再参入したのがハイムです。そして父はハイムの立ち上げに販促面から関わっていました。

「セキスイハイム」という名前は、父の考案です。子会社がすでに成功していたのでセキスイの名前は使いたいしハウスは使えないし、ならば英語ではなくてドイツ語ならどうだ、というアイデアでした。しかし最新鋭の技術工法を注ぎ込んだ期待の新事業も、まさに「箱を積んだような外観」で、当初は「売れない…」とぼやいていました。一生に一度買えるかどうかの「人生最大の買物」、やはり家は家らしくあってほしいというのが大衆の感覚で、いくら性能がいいと主張しても、「箱を積んだよう」では大衆受けしないわけです。

…という父の話は出ていませんが、プレハブ黎明期の技術者の苦心のエピソードが、綿密に記録されています。父は人生で2回プレハブハウスを建てたわけですが、その間の進歩は飛躍的なものがありました。1964年に建てた最初のハウスは25年で建て替えてしまいましたが、それは夏は暑いし冬は寒いし音は抜けるし、初期性能が低かったうえに劣化も速かったからです。

しかし今のプレハブ住宅は、そんなことはありません。プレハブだからと言って在来工法より格落ちするというイメージは、もうないのではないでしょうか。阪神・淡路大震災で、セキスイハイムは被災地で1軒も全半壊を出しませんでした。あの大量生産の画一的な存在が、日本の町をダメにした、安っぽくしたという批判を聞くことがありますが、じゃあプレハブがなかったら、これほど大勢の人が安定した性能の家に住めただろうか、と反論したいです。そういった「大量生産だからだめ」という偏見は、ニュータウンに対する批判にも通じるものがありますね。じゃあニュータウンがなかったら、日本の都市計画はもっとめちゃくちゃになっていただろうと思います。

ものすごく皆がお世話になってきたのに、地味な評価しか与えられていないような気がするプレハブハウス。そんなプレハブの足跡をまとめてくださったこの本に、深く感謝です。全部モノクロですが、図版多数。

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コメント

    • 吉田純威
    • 2020年 5月 21日

    昭和38年、高野台中学の同級生の家(高野台5丁目)がプレハブでしたよ。昭和37年入居の佐竹台は木造・コンクリートともに従来工法で、昭和38年入居の高野台は従来工法とプレハブが混在。
    「千里ニュータウンが世間に認められたせいか、分譲住宅応募者増加に対し大阪府は津雲台の分譲時に、(1) 一区画の面積を従来(高野台)よりも小さくした (2) 大阪府分譲は土地のみ、建物は購入者が自分で建てる(大阪府として建売は手間がかかる) という方策を取った」と母から聞きました。ちなみに昭和40年9月の台風で屋根が飛んだ戸建て住宅20軒は佐竹台でした。もちろん修理は大阪府だったとか。

      • 奥居武
      • 2020年 5月 22日

      佐竹台の分譲はプレハブ工法の確立が間に合わず、高野台から多くプレハブの家になったということは、聞いたことがあります。戸建の区画割は千里の中でも後期の住区になるほど小ぶりになっていきますね。地価が高騰して公庫の融資基準に合わせるためには土地を狭くせざるを得なかったこと、詰め込まないと人口15万人にならないと明らかになってきたこともあったと思います。父の知人の家が佐竹台六丁目にあり、台風で屋根が飛んだ1軒だったのですが、20軒も被害があったのですか!藤白台のわが家は宅地のみ購入し上物は自分で建てる契約でしたが、区画ごとにメーカーは決められていました。松下に勤めていたのに積水の区画が当たってしまい(すごい倍率だったから選べなかった)、「お父さん始末書書いたのよ」と言っていた同級生もいました。

  1. 2022年 9月 29日

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