通勤電車の「三密」がなくなる日は来るか?
- 2020/6/1
- 千里ニュータウン, 周辺地域
- まちづくり, 交通
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6月になってきょうから出勤…という人も多いでしょう(僕はもう関係ないですが…)。千里ニュータウンは大阪市内に通う人がきわめて多い「ベッドタウン」。テレワークが普及しても通勤電車がなくなる未来は来ないでしょうね。テレワークと出勤は「組み合わせ」だと思います。
さて千里住民の、とくに吹田市側に住んでる人が気になってるだろうポイントが「阪急淡路駅」。ここは北千里から天六~堺筋線に向かう「千里線」と、京都から大阪梅田に向かう「京都本線」が平面クロスする「鉄萌え」ポイントで、北千里から来た電車は半分は天六方面に、半分は梅田方面に。京都から来た電車も天六方面と梅田方面両方に行くというX字型のアクロバティックな運用になっています(千里ニュータウンが出来た頃から、そうでした)。行きも帰りも乗り過ごし要注意ポイント!
つまり駅の前後で激しく平面交差が発生し、ダイヤを組む支障になっているので、これをまるごと立体化してしまう大工事が…もう何年やってるんだろう?ダイヤは当然京都本線優先ですから、千里線利用者にとっては淡路駅に入る前で待たされる…という所で数分のロスが発生し、これがなくなるのは、千里にとっても大朗報です。
ところが淡路駅はすぐ京都方でJRおおさか東線(城東貨物線)が阪急の上を通っているため、新しい阪急の高架はそのさらに上をまたぐことになり、しかも上り線(京都・北千里方面)が2階、下り線(梅田・天六方面)が3階と、もう万里の長城のような大構築物ができつつあります。
しかも千里線では下新庄駅の大阪方で上を新幹線がまたいでいるため、阪急はさらに新幹線の上を行くことになり、このポイントでそこまで持ち上げるために、神崎川の北側から線路が上がり始めます。梅田方は崇禅寺駅も高架になり、南方駅の手前でJRの下をくぐるポイントでやっと地上に降りる…というすごいことになっています。
完成は…?一度延期されて、2025年高架化、全部終わるのは2028年…順調に行って、あと8年か…。
これが千里にどう関係があるかというと、通勤が数分短縮されるだけでなく、千里の交通構造は千里線にこのネックがあるためにどうしても千里中央に客を流さざるを得なくなっている…という「一因」が取り除かれるということ。…しかし35パーミルの急勾配や関大前~豊津のクネクネなど、ほかのネックはまだまだありますね。もうあれは、未来永劫ああなんだろうな。
ここでハタと気がついたのは、千里線は阪急で梅田に一番多く直通している支線ですが、もしこれを全部天六・堺筋線方面行きにしてしまったら、淡路で線路をまたぐ回数が増えてしまう…ということです。京都→梅田行きと北千里→堺筋線行きはクロスするので同時発着できないが、京都・高槻市→堺筋線行きと北千里→梅田行きはクロスしないので同時発着ができる。行先を半分ひねったほうが、ダイヤを組むうえでは有利なわけです。「千里線は支線だけど優遇されている」と思い込んでいたのは、思い過ごしだったのかなあ。
…「三密はなくせるのか」というタイトルと違う話になってますね。阪急淡路駅の乗降人員を調べたら、バブル絶頂期に比べて55%ぐらいに減っているではありませんか。これは「駅を出入りした人」で、電車で通過した人数ではありませんから、「淡路」という町がインナーシティ現象を起こしているのかもわかりませんが、実は北千里駅も1996年と比べて79%ぐらいに減少しています(北千里駅の場合は、ニュータウンの再生効果か、この数年持ち直しています)。つまり昨今(コロナ直前で)、私たちはすでに昔よりかなり「すいた電車」に乗っているわけです。通勤は楽になっているけれど、鉄道会社にとっては「きつい経営」になっているわけですね。僕はそのほうが心配です。
コメント
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2021年 4月 01日トラックバック:阪急千里線100周年! | アラウンド・藤白台
この写真は淡路駅の北千里・京都方面行きのホームから上新庄・下新庄側を撮影したものですね
キタヨビからの帰りに見ていた… おっとっと 独身時代に会社帰りに見ていた風景です
もっとも 当時はこんなバカでかい構造物はありませんでしたが
私も減少に加担した1人ですね~
今は 昔と違って鉄道模型でも阪急電車が多く発売されているので(Nゲージの話です)
コレクションも増えました 子供のころは 特急の6300系しかなくて…
藤白台住民は北千里から乗車しますから たいてい座っていけましたよね
箕面方面への延伸計画が実現していたら 北千里の地価は下がっていたかもしれません
それで思い出した!青中野球部時代 ボール拾いに よく車庫まで下りていきました!!
もし北千里~小野原~粟生~彩都方面に千里線が伸びていれば、北千里も箕面市東部も彩都ももっと発展していたのではと思います。北千里住民は座れなくなりますが、彩都は大阪都心に直結になりますから。しかしモノレールのほうがはるかに安かったのでしょう。今の路線の骨格はバブル期以前に決めていたはずなので、このまま増えたら千里線では運びきれないと考えられたかもしれません。関西の私鉄はバブル前後を頂点に約3割は乗客が減っていますが、それは千里だけの話ではなく、北摂はよくもっているほうです。人気エリアですからね。
延伸は 彩都方面につながる計画やったんですか?
何も知らんと てっきり北千里から箕面駅へつながる計画なんやと思てました(苦笑)
当時 もし延伸が実際に着工されていたら ウチのおかんは
たぶん引っ越しするって言うてたと思います
現状の北千里の良さをずっと力説してましたから…(息子の自分は当然その信者でして)
諸事情あって 自分の結婚を機に 実家はA10棟から宝塚へ引っ越しましたし
自分は兵庫県に住んでいますが 藤白台は今でも戻りたい土地であることに変わりありません
(戻れないから余計にその想いが強くなっているかもしれません)
いろんな歴史を教えていただけるので ここへ来るのが楽しみです
いつもありがとうございます
いえ、彩都方面の話は「もしそうなっていたら…」という僕の妄想です。南千里から桜井につながる路線は実際に阪急は免許も取っていましたが、北千里延伸を望んだ大阪府と妥協して、大阪府は北千里から箕面に伸ばせるように敷地だけは用意しました。だから南千里駅(新千里山駅)は2面4線で二又にもできるように設計されています。しかし阪急は(北急ができて沿線需要を吸収したこともあって)もうやる気がなく、そのまま放置されました。一方、彩都の開発構想は1970年代からあったと思いますが、「アクセスをどうするか」については、計画人口5万人の町であってみれば複数案が比較検討されたのではないか?と推理したまでです。
南千里駅は そういわれてみれば梅田行のホームには後ろ(佐竹台側)に線路がありました
でも 桜井方面へつながる構想もあったなんて知りませんでした
彩都の構想はそんな昔からあったんですね
地図を眺めてみて妄想しています!
桜井に免許を持っていた阪急と、北千里に伸ばしてほしい大阪府の間で最初から調整できなかったので、とりあえず両にらみで新千里山(南千里)まで開通させたと。千里中央線(千里さくら通り)ぞいの緑道は、南千里~桜井ルートに使えるように土地を確保しておいたなごりだと見ています。計画の初期は、進めながら何度も直していくもので、流動的なところがあります。