千里ニュータウンは再来年(2022年)で「まちびらき60年」になります。千里の場合、無二の立地が幸いして?建物の更新は進んでいますが、それだけで「町がつながっていく」わけではありません。
ここのところ「千里第一世代」と言っていい方の訃報やご病気の知らせに接することが続いて、「町の記憶をつないでいく」ことを考えています。僕も1964年から住んでいるから「かなり初期組」ではありますが(これをご近所のおじさんは「パイオニア」と呼んでいました。まるで西部の開拓民のように…)、幼稚園児だったので記憶や受け止め方は第一世代とは違います。幼稚園児だった僕も還暦を回るほどになると「町の記憶がつながらないこと」への危機感をひしひしと感じるようになりました。
写真は「吹田市立千里ニュータウン情報館」所蔵の図書や団地新聞など。ここには、千里ニュータウンに関する貴重な資料が集められています。たまたま僕のところに入ってきた情報も、ここへつなぐようにしています。せっかく、こういう施設があるんですから。
住民も…開発者も…行政担当者も…人は入れ替わっていく。しかし町は「ただの入れ物」ではなく、なにか共通の精神を受け継いでいってこそ、町でしょう。古い町にはそういう仕組みが備わっているものですが、ニュータウンは「歴史も文化もない町」だと思われがちで、「近過去の記憶・記録」は、意外と大切にされません。でもでもでもでも…その町の「立ち上げ」に関わった人たちの時間は、ニュータウンでも古い町でも同じ80年なら80年なわけで、人生に軽重のあるはずがありません。
ここは踏ん張って、「日常が歴史になるまで」記憶を記録にしていくジミな作業を誰かがやらないと、ニュータウンは「一人前の町」になっていかないのです。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。