5月15日は、沖縄が日本に返還されてから50年の節目でした。私は返還前の沖縄は行ったことがありませんが、初めて行ったのは1985年…今から思えば、返還からまだ13年しかたっていませんでした。1978年に「人は右、クルマは左」に切り替わってからは、わずか7年。海洋博が1975年にあり、そのための投資を観光産業振興につなげるための「青い翼と赤い翼の沖縄キャンペーン合戦」が1970年代終盤に始まって、すでに沖縄のイメージは「トロピカルな南のリゾート」に変換しつつありましたが、観光基盤はまだまだ素朴なものでした。
写真は、嘉手納基地が外から見える数少ない小高い丘のスポット。と言っても「ただの道端」です。アイスクリームと、珍しい戦闘機の生写真を売っているスタンドが出ているだけでした。初訪問でこんな場所に行ったのは、ガイドブックにここが観光スポットとして紹介されていたからです。
本島からさらに南へ向かう飛行機はJTAではなくオレンジ色の南西航空で、那覇のターミナルは「島内線」という名前で掘っ立て小屋のプレハブのような建物で、内地へ飛ぶ「国内線」のビルからは離れた場所にありました。今の統合された、免税店が並ぶ立派なターミナルからは、想像もつきません。機材は半分ぐらいが、まだプロペラ。「青い翼」は、那覇より南にはまだ飛んでいませんでした。
この時の旅行では、先に寄った本島では天気が良かったのですが、期待に胸をふくらまして渡った石垣ではずっと雨で、くやしくて「また来よう!」と思ったためにその後30回以上訪問することになってしまいました。(まだニュータウンオタクではなかった。)
その頃は20代だった私も、60代です!「沖縄の基地負担は変わらない」という前に、私の人生なんと速いのでしょう。人の人生は短いです。そして沖縄の観光客数は、ハワイを抜くまでになりました。その成長ぶりを、誰が予測したでしょうか。皆が頑張ったから、そうなったのです。
「ニュータウン以外のことはできるだけ書かない」と決めているこのブログですが、沖縄は「地域」を考える時にいつもそこへ戻る、私の一つの原点です。
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