1月17日だからと言って何か特別なことを書こうとすると、今年はとりわけ言葉が出てきません。あの震災から26年という年月は大きな区切りとも言えませんが、今年はコロナ禍下にあること、東日本大震災からも10年という区切りが重なって、節目が大きく感じられます。
1991年暮れに東京から関西に帰ってきて、どうも素直に千里に帰る気がせず芦屋の中古マンションを借りたとき、引越屋のお兄さんは本棚にあいた倒れ止めのネジ穴を見て、「あはは。関西には地震はありませんから!」と笑ったものでした。
僕自身もなんとなくそんな気がして、東京にいたときはやっていた倒れ止めを、芦屋ではしないまま放っていました。「関西に地震はない」…そんな俗信は、何の科学的根拠もなかったのです。
いざ震度7に見舞われて、見事に家具は全部ひっくり返り、ガラスの割れたクルマで赤い月に照らされながら千里まで逃げ帰った晩、つくづく痛感したことは、「希望的観測と科学は何も関係がない」ということ、そんなものは何の役にも立たないということでした。
今、世界はコロナ禍に見舞われ、見えている景色は震災の時とは違って全く日常的なままですが、私たちの生活は「ゆるやかに被災している」と言えます。コロナで日本で亡くなった方は、阪神・淡路の約2/3に上ってきました。ワクチンはいつ効力を発揮するのか、社会はいつ落ち着くのか、経済は破綻しないのか、あてどもない希望的観測にすがりたくなってしまいます。そして自分が非日常に向き合っている時、当事者は「自分が被災している」とは思わないものです。
大きな災害は、町の変化を急激に進めます。神戸経済は、いまだに震災の影響から立ち直っていません。そしてコロナ禍も「災害」ととらえるならば、今私たちは大きな変化の渦中にあって、その行きつく先はまだ十分には見えていません。
どうしても明るいことが書けないのですが、facebookにある方が書いていた言葉が、今の僕にはとてもストレートに響きました。「前を向かなくてもいいから、ただ生きてまいりましょう。」…そうです、それに尽きると思います。下を向いていても、生きていることには何か意味があるはずですから。それでも私たちは生きていくのです。
(写真は1995年12月、第1回の神戸ルミナリエから。)
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