(前回からのつづき)山に抱かれるような藤白神社の一帯には、古くからの言い伝えに後世の人たちが思いを重ねた記念物がそこかしこに見られます。この「歌碑」も、その一つ。音符がついている「歌碑」です!この地で斃れた悲劇のプリンス有間皇子の悲運を詠んだ和歌…
藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は ぬれにけるかも (よみびと知らず)
に、万葉を愛し、和歌山大学教授であった打垣内正(うちがいと・しょう)さんが曲をつけたもので、譜面とともに刻まれています。藤白の坂を越えようとすると有間皇子の悲運が思い出され、私の袖は涙で濡れてしまう…という哀悼の思い。その万葉和歌に、昭和の学者がまた曲をつけた…という謂れで、ここでは歴史はどんどん更新されて置き換わっていくものではなく、積み重なっていくものだということが、よくわかります。
この海南の「藤白」は、千里ニュータウンの「藤白台」とつながっているのでしょうか?私にはそれをつきとめるまでの知見はありませんが、そうであってくれたらな…と思います。千里ニュータウン吹田市域側には8つの町名「○○台」がありますが、遠く離れた場所にルーツを共有しているのかも…と思われる地名があるのは「藤白台」だけです。なんともロマンチックなことではないでしょうか。(2017年7月取材。つづく)
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2021年 5月 31日
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