岡本太郎展が話題の大阪中之島美術館。千里民としては岡本太郎も見逃せないですが、それより先に行ったのは…「みんなのまち 大阪の肖像」のpart2。高度経済成長期に、豊中市の千里ニュータウンに建てられたという想定のセキスイハウスのB型がまるごと再現されています。(なぜ「豊中市」としか書かない?)
わが家が1964年に千里に越してきて、最初に建てたのが、このセキスイハウスのB型。1960年に売り出された前のモデルのA型が未熟ですぐに見切りをつけられ、わずか1年弱でモデルチェンジされたのが、B型。このタイプは反省して実用化に徹したのでロングセラーとなり、1977年頃まで売られ続けたそうです(出典『箱の産業』)。展示再現されていたのは1975年の想定ですから同じB型でも「わが家」より新しいですが、基本は、同じです。自分の暮らしが博物館に入ると「長生きしちゃったな」感がこみ上げてきますね。
ステンレスのキッチン、木目デコラの壁、ダイニングのペンダントライト…。床はうちはPタイルでしたが、この頃は市松模様の合板フローリングに変わっています。展示の2ドア冷蔵庫やレンジは「アボカドグリーン」と呼ばれる緑色ですが、家電のカラー化は1970年中盤からの流行です。花柄プリントのポットは、もう少し前からありましたね。今と比べるとすごく簡素でしたが、モダンライフの原型は完成していて、それ以前の家とは大きな違い…「新しさ」がありました。
うちも、隣も、その隣も、お向かいも、このセキスイハウスのB型でした。もっともうちの近所は、メーカーは区画ごとに指定されていて入居者は間取りだけ選べる売り方だったので、これは積水ハウスの営業力(政治力?)の成果だったかもしれません。
一戸建でしたが、近所はほとんどプレハブで、メーカーも片手+αぐらいしかなく、グレード差やデザインも分化する前でしたから、皆が同じような家に住んでいた。友達の家に行ったら「ああ、これはうちの左右反転タイプだな」ということもありました。それは本当に「平たい団地」でした。
10月2日まで。20世紀の家電も「これでもか!」というぐらい展示されています。家電も、プレハブハウスも、メーカーは関西に集中していて、まさに大阪がモダンライフを生み出すメッカだったのです。それにしてもこのバナー、もったいないわー。これでは、わっからへん。展示室に家を1棟再現するという張り込みぶりなのに。
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